必然だった「ふく」の一大拠点・下関
刺身もよし、鍋もよし、季節にとらわれず、いつでも高級魚としてのブランドと品質を保ち続けている下関のふく。そもそも、下関が日本有数のふくの一大拠点として名を馳せるようになったのは、なぜでしょうか。そんな疑問に対して、「下関がふくの拠点となったは、必然なんですよ」と語ってくくれたのは、下関における「ふくの情報発信元」ともいえる、協同組合下関ふく連盟の宮田裕二(みやた・ゆうじ)さん。日本史の教科書では、日本の歴史の局面にほぼ必ず登場する下関。そんな地域の歴史にも深く関係する「下関のふく」について、宮田さんに教えてもらいました。
ふくの水揚げ日本一になったわけ
いわずと知れた、ふくの水揚げ日本一の街である下関は、本州の西の端に位置し、日本海、東シナ海、瀬戸内海を結ぶ交通、とりわけ水路・海運の要衝です。それに至るまでの道のりは単なる地理的な要因だけではなく、これまで下関が歩んできた歴史と深いつながりがあります。
宮田さんは続けます。「江戸時代の北前船がもたらした影響は大きいでしょうね」。蝦夷地(現在の北海道)の松前から日本海側の主要港・関門海峡(下関、門司)を経て、瀬戸内海を通り大坂(当時)、江戸へ向かう西廻り航路の「北前船」の発達により、重要な寄港地となりました。ふくのほかにクジラなどの遠洋漁業の拠点としても発展し、その後、明治・大正・昭和初期にかけては、朝鮮半島を通じて大陸への玄関口として、栄華を極めることになります。
ふくの好漁場にも恵まれた環境
下関・関門海峡を通じた、瀬戸内海、豊後水道、玄界灘がふくの漁場であったこと、さらに「とらふぐ」の産卵地である玄海灘沖や瀬戸内海西部に近かったことなどから、そこで獲れたふくの集積地(水揚げ拠点)となっていきました。
さまざまな要因が必然であり、地理的かつ文化的、経済的な側面に加えて、ふくの調理人・職人による技術の伝承や独自の流通体系・ノウハウが蓄積され、「下関ふく」のブランド向上に貢献しています。とあるテレビ番組で「山口県のスーパーでは普通にふぐ刺しが売ってある」と紹介されたように、結果として、ふく食の文化が地域の食文化として根付き、現在に至るのです。
日本史の英けつが決断した「ふく料理」
さらに「ふくの歴史は、その時代のトップの決断に左右された歴史でもあります」と宮田さん。例えば、豊臣秀吉の朝鮮出兵「文禄の役」(1592年)の際、九州の名護屋(現在の佐賀県北部)に終結した武士や兵士達が、ふくを何も知らず食べたところ、ふくの毒により犠牲になったことがありました。これを重く見た秀吉は、日本で最初とされる「ふぐ食禁止令」を発令。このふく食禁止の慣例は、江戸幕府でも受け継がれ、明治時代に解禁されるまで続きます。
その禁を解いたのが、初代内閣総理大臣の伊藤博文。そのきっかけの舞台は、下関でした。関門海峡のそばにある旅館「春帆楼(しゅんぱんろう)」で、ふく料理に舌鼓を打った伊藤は、そのおいしさに感動し、「ふぐ食禁止」を解禁。春帆楼は「ふぐ料理公許第1号」として、その名を轟かせることになったのです。
「ぱくぱく」と食べるものではない
下関のふくが、その圧倒的ともいえる優位性を保ち続けている理由のひとつに、ふくの加工技術があります。いわゆる「みがき」です。みがきとは、ふぐ処理師の免許を取得した有資格者が、ふくの有毒部位を除去して、可食部位すなわち食べることができる身の状態にする下処理のこと。また下関のふく刺しは、「薄造り」といわれる技法で、皿の模様が透き通って見えるほど薄く切って皿に盛り付けます。これは、ふくの身は厚くて固く弾力があるため。薄く切ることで、味に集中でき歯ごたえのある食感が楽しめるためです。これこそ、先人たちによって編み出された調理法。おいしく、美しい薄造りは、熟練の高度な技術が必要となる調理法であり、連綿と受け継がれた食文化と技術の結晶が、このふく刺しなのです。
宮田さんは語ります。「下関ブランドのふく刺しは、技術と伝統の集大成です。ぱくぱくと食べるというより、その歴史的、文化的な背景に思いを馳せていただきながら、味わっていただくと、さらにおいしくなります。食文化というのは、そういう付加価値的なものではないでしょうか」
地域文化のど真ん中にある「ふく」
下関では、地域の行事でも「ふく」が登場します。 毎年2月9日は語呂にちなんで「ふくの日」として祈願祭を執り行い、2月11日の建国記念の日には「ふくの日まつり」が開催されます。ふくの取扱量日本一を誇る南風泊(はえどまり)市場では祭りの際、先着1000名にふく鍋を無料提供。また、4月29日には「ふく供養祭」が行われ、シーズンの終わりを告げる伝統行事として、ふくの霊を慰め、関門海峡にふくを放流しています。
関門海峡(下関側)の氏神である亀山八幡宮には「ふくの像」があり、毎年9月29日にはふく漁解禁にあわせ、亀山八幡宮で漁の安全などを祈願する「ふく祭り」が行われるのです。
歴史と伝統、そして文化に裏打ちされたブランド
通信販売では、リピーターが多いのが特徴で、ふるさと納税も「下関のふく」を知っていただく機会として、しっかりアプローチしていきたいそうです。そのために、連盟としてできることは何かを常に考えてらっしゃる宮田さん。「培ってきたブランドと品質は、落としたくないんです。歴史と文化に対して失礼になりますからね。でも下関の事業者や職人たちは、この価値観を共有し、しっかりと次の世代へ受け継いでいこうと努力しています」。宮田さんのお話から「下関ふくブランド」の付加価値を十分感じ取ることができました。それは、地域に対する誇りと自信とも受けとめました。