沖縄本島中部、変わりゆく嘉手納町
沖縄本島のほぼ真ん中に位置する、嘉手納町(かでなちょう)。現在の嘉手納町地域はその豊かな自然環境ゆえ沖縄で最も古くから開け、縄文時代以前から人々が住み着いていたと言われています。戦前は県営鉄道の嘉手納駅も置かれ、学校や警察署、工場もあり、中頭郡の経済、文化、教育、交通の中心地でした。
しかし、現在私たちが「嘉手納」と聞き、真っ先に思い浮かべるのは、極東最大の米軍基地である嘉手納基地。第二次世界大戦後、同地域は土地の約8割を米軍の管理下に置かれ、住民は基地に近接した残りの2割弱の土地での生活を強いられています。基地被害は挙げればきりがなく「基地の町」として嘉手納は沖縄の縮図と言われてきました。その一方で、1983年にできた「かでな文化センター」を中心に、新たな町づくりに向け、様々なプロジェクトが進められ、昨今では新しいお店も増え、若者を中心に少しずつ盛り上がりを見せているエリアでもあります。
アダン筆をつくり30年
そんな嘉手納町から沖縄の魅力を発信するつくり手のひとりが「筆工房 琉球大発見」を営む、吉田元(よしだはじめ)さん。吉田さんは、市役所に勤めていましたが、40歳の頃に体調を崩し、療養生活を余儀なくされました。
療養中に、雑誌で見た岡山県の竹筆士(ちくひつし)さんの筆に魅せられ、筆づくりの世界へ。はじめての竹筆づくりを経て「沖縄の身近な南国植物も筆になるのでは」との想いから、サトウキビやガジュマル、ユウナの木など様々な植物での筆づくりを試したそうです。そして1992年、アダンを素材とするアダン筆にたどり着きました。独自の製法でアダン筆をつくり始め、今年で30年ほど。初めは試行錯誤の連続で、商品化に至るまでに10年もの歳月を要したと言います。
沖縄とアダンの深い関係
アダンは、沖縄県内各地に自生する常緑小高木。台風や干ばつに極めて強い特性をもち、3~5メートルに成長します。神話にも登場するほど歴史があるアダンは、古くから紙や草履、帽子など様々な日用品の材料として人々に親しまれてきました。また、祖霊が宿る木としてあがめられ、沖縄ではお盆が来ると、熟したアダンの実を仏前に供える風習もあります。
アダンは、地上に出ている茎や幹から「気根(きこん)」と呼ばれる空気に触れる太い根をタコ足のように伸ばすのが特徴で、アダン筆の原料となるのがこの「気根」です。「水分を多く含んでいること」「繊維質が強いこと」。この2点が筆づくりに適した植物の条件だそうで、アダンの気根の中でも水分を多く含み、しなやかな繊維質により弾力と柔らかさを併せ持つ若い気根(成長点)が筆づくりには最適だそう。
自然の恵みを活かした素朴さが魅力
この日は吉田さんの工房にお邪魔し、アダン筆をつくる様子を見せていただきました。工房には、細い筆から抱えるような大きな筆、珍しいアダンの実でつくった筆など、形も大きさもさまざまな筆が並んでいます。
アダンの木から切った気根は、まず腐りやすい表皮を剥ぎ、しっかりと乾燥させます。その後、穂先となる部分を水に浸し柔らかくしながらハンマーで叩きほぐすところから筆づくりがスタート。繊維を切らないように注意しつつまんべんまくほぐし、約30分程根気よく叩き続けます。
次に、叩いた部分をワイヤーブラシですき、繊維を細かくしながら整えます。ブラシは筆に対して縦にあてるのがポイント。引っ掛かりがなくなったら、ブラシですいた部分をサンドぺーパーでこすり、きめを細かくしていきます。
一番気を遣うのが、命毛(いのちげ)づくり。払いや止めといった文字の書き味を左右する筆先の加工は、経験がものをいうとても繊細な作業です。特に筆先を念入りにこすり、筆先が薄くなれば出来上がり。
吉田さんは、全ての行程をひとりで行い、1本ずつ丁寧にアダン筆をつくっています。動物の毛を使う毛筆と違い、植物でつくるアダン筆は筆先から筆軸まで1本のアダンの気根からつくるのが最大の特徴で、美しく仕上げるためには長年培ってきた技術が欠かせません。
自然の中から享受したアダンの気根を、丸太の上で、ハンマー、ブラシといった最小限の道具で美しい筆に変えてゆく姿は職人技そのもの。つくり方はシンプルですが、独自のアダン筆づくり確立させる道のりは決して簡単ではなく、水分の多い気根を腐らずにしっかりと乾燥させることに特に苦労した、と吉田さん。
図らずも復活させた幻のアダン筆
こちらが今回の返礼品である、完成したアダン筆の3本セット。吉田さんは、独自に試行錯誤しアダン筆をつくる中で、アダン筆のルーツは琉球王朝時代にあることを知ったそう。まだ毛筆が高価で手に入りにくかった時代に琉球王朝の役人が使っていたのです。また「雨月物語」の作者・上田秋成(1734~1809年)が本土に移入されたアダン筆を江戸時代に愛用していた、との記述も。
沖縄の先人たちによる約200年の歴史があったアダン筆ですが、毛筆の普及により江戸末期に衰退してしまいます。吉田さんは、長い間途絶えてしまっていた伝統ある技術の再現に留まらず、現代の技術を組み合わせたより良質な新しいアダン筆をつくりだしていたのです。
唯一無二の書き心地
アダン筆を持って驚きました。遠い記憶の中にある習字の筆とは比べ物にならないくらい軽いのです!手に持った時すっと肌になじむのは、自然由来だからでしょうか。試し書きをしてみると、毛筆にはない軽やかな書き心地。植物でできているので水分の吸収が良く、墨もちが良いそう。筆先が柔らかく、太さの調節もしやすいため、素人でも簡単にいろいろな字体を楽しむことができます。
墨のかすれ、豪快な太い線、やわらかなやさしい線...書く人の個性をいかした、表情のある文字はあたたかみがあります。筆先の「命毛」の部分が摩耗してもサンドペーパーで整え自分でお手入れすれば、長く使用できるのも大きな魅力。まさに時代のニーズに合致したサスティナブルな植物の筆と言えます。
アダン筆で地域振興、そして世界へ
「アダンは気根から実まで利用できる沖縄の宝」。1本の木からいくつもの工芸品が創造できる多様性や、琉球開闢(かいびゃく)の歴史に深くかかわるアダンの存在感に魅了された吉田さんは、アダン文化の伝承に意欲を燃やしています。「人を魅了するには良いものをつくらないと。常に新しく挑戦し、品質と美しさの追求を怠らず、より良いものづくりをしていきたいです」
その言葉通り、トリコロールカラーのアダン筆も披露し、2002年にはフランス進出も果たした吉田さん。アダンの利用価値を再興しながら、若い世代や外国人にも受け入れられる筆づくりで着実にファン層を広げています。
「年中夢求」で地域復興!
「もともと書家ではないので、発想のポイントも独自だし、筆とはこういうものだという固定観念もない。だから書道の筆、というよりアダンという素材を活かして自分なりの筆をつくる面白さを追求しているよ」。工房に掲げられた「年中夢求」とかかれた文字。 地域と共に夢づくりをする吉田さんの姿は、多くの人々を今日も魅了し続けています。(撮影/タイラヒロ)