うだつの町並みで有名な徳島県美馬市
徳島県の北西に位置する美馬市は、吉野川が流れ歴史的文化財が多く残る自然豊かな町。
江戸中期に藍と繭で栄えた脇町にある「うだつの町並み」は、観光客にも人気の情緒あふれるスポットです。
「うだつ」とは「卯健」とも書かれ、二階の壁面から突き出した漆喰塗りの袖壁(そでかべ)のこと。火よけ壁とも呼ばれ、防火の役割を担っていました。江戸時代、裕福な商家たちはこのうだつを高く上げることで富と成功の象徴としていたそうで、この町では今でもその美しい装飾を目にすることができます。
阿波の名工の技術に触れる「阿波踊り 竹人形の里 時代屋」
そんなうだつの町並みの通りに、風情ある佇まいのお店「阿波踊り 竹人形の里 時代屋」があります。時代屋は、竹製品の製造・販売、民芸品・お土産品の販売を行うお店として1997年に開店しました。
時代屋の顔でもあるのが、こちらの「阿波踊り竹人形 5人立 ガラスケース入り 本藍染和紙使用」。徳島が誇る伝統芸能「阿波踊り」を竹人形で表した工芸品です。
阿波踊り竹人形は、1950年に徳島大学の美術講師を務める故・藤田善治氏が考案し徳島県全域に拡がったのが始まり。背景にある本藍染の和紙には、阿波踊りの歌「よしこの節」が手書きで書かれており、台座の側面が朱色に塗られているのが時代屋の竹人形の特徴です。
店内で出迎えてくれたのは、そんな竹人形をはじめとしたさまざまな竹細工の数々。すべて手づくりのこれらの商品は、実に細かい技術により制作されており、思わず近づいて観賞したくなるようなものばかりです。
繊細な手作業で作り上げる竹人形
店内では、藤澤英文(ふじさわつねふみ)さん(写真奥)と息子の公章(ふじさわきみあき)さん(写真手前)が並んで制作中。近年では阿波踊り竹人形の製作者は減少の一途を辿っており、こうして実演販売を行っているのは、今ではこの時代屋のみなのだとか。
英文さんは、徳島市内の大森英實(おおもりひでみ)氏を師と仰ぎ、その指導のもとで人形制作の基礎を学び、今日の時代屋独自のかたちを作り上げてきました。過去に皇室の常陸宮殿下に所望されて竹人形を献上したこともあるほどで、2010年には、「平成22年度徳島県卓越技術者」(通称「阿波の名工」)の表彰を受けました。現在は公章さんと共に、竹人形やその他竹製品の制作をこの美馬市で行っています。
こちらは、竹の節の形を活かして女踊りの帯部分を作っているところ。時代屋の竹人形は、布袋竹(ほていちく・五三竹とも呼ぶ)・孟宗竹(もうそうちく)・真竹(まだけ)・女竹(めだけ)の4種類の竹を使用しており、その9割が美馬市のものです。自分たちで厳選した竹を切り出し、油抜き・乾燥・色抜きを繰り返して竹細工の材料を作ります。この竹人形のように、それぞれのパーツによって必要な柔らかさや形が違うため何種類もの竹を使用する竹細工は、ほかにはあまりないのだそうです。
「竹人形のように踊れ」。一つひとつの動きが集団美になる
「時代屋さんが作る竹人形のように踊れ」かつて、阿波踊りを代表するとある有名連の連長は、過去に踊り子たちにそう教えたのだといいます。踊り手からそんな言葉をもらう時代屋の竹人形の魅力のひとつは、近くで見るとより感じることができるその繊細さです。
「この阿波踊り竹人形は集団美でもあります。一つひとつの人形がしっかりしていないと集団美にはならない。踊りをするときは、腰の向きもあるし足先の向きもある。前に出ている足の先で次の動きが決まるんです」と話すのは公章さん。「阿波踊りは指先」というように、竹人形の動きには目を見張るほどの躍動感があふれています。
本物の阿波踊りに負けない踊りを竹人形で
意外にも、自身では阿波踊りは踊らないという英文さん。「一度踊る側を知ってしまうと、自分の都合がいいように制作してしまうので私たちは“見る専門”です。阿波踊り竹人形を制作するには、何よりも踊りをよく見てよく知ることが大事。あの動きが次どうなるのか、その後ろはどうなるのか。人形を並べて構成するときにその観察力が活きてくるんです」。竹人形を配置するにも数ミリの差が大事で、その工程にはより時間をかけるのだそう。
「阿波踊りは芸術。日本全国で阿波踊りに勝る行事は他にないと思うんです。そもそも阿波踊りは盆の行事であり、霊を慰めるためのもので、踊り子たちはそのために一生懸命練習してハレの舞台で踊る。それに対して失礼なものは作れない。いい踊りを見せてくれる有名連たちに負けない踊りを、私たちの竹人形で表現していかなくてはいけないと思っています」と熱く語ってくれたその表情には、竹細工職人としての揺るぎない信念を感じとることができました。
竹細工職人の緻密な技術をじっくりと堪能することができる時代屋の阿波踊り竹人形。見ていると、まるで阿波踊りの情景が浮かんでくるかのようです。動きひとつをとっても同じものはないとされ、一つひとつの竹人形に作り手である職人の思いがそっと乗せられているようでした。