長崎県

世界の文化が混じり合う長崎の卓袱料理

2021.04.16

この記事では、日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介します。
今回スポットをご紹介いただいたのは、長崎県で “長崎からすみ” の元祖である老舗「高野屋」を営む14代目社長・高野正安さんです。

100年先に残したい長崎発祥の卓袱料理

長崎県伝統の食文化を語る上で、忘れてはならないのが卓袱(しっぽく)料理でしょう。卓袱料理とは、中国や西欧の料理が“日本化”した長崎発祥の宴会料理。円卓を囲んで、大皿に盛られたコース料理を、膳ではなく、円卓に乗せて食事することに大きな特徴があります。吸い物の「お鰭(おひれ)」、刺身といった冷たい前菜にあたる「小菜」、天ぷらなどの温かい「中鉢」、和の料理盛り合わせ「大鉢」、果物などの「水菓子」、〆の甘味「梅椀」 が豪勢に盛られ並ぶ様は、見るだけで心が弾む光景です。もともとは、おもてなしの家庭料理として振舞われていましたが、現在は結婚披露宴といった冠婚葬祭に欠かせないスタイルの料理となっています。

卓袱料理の歴史は、日本が鎖国政策をとっていた時代に始まりました。当時、諸外国との貿易拠点として国内で唯一開かれていたのが長崎。和・洋・中の文化が混ざり合う中で、独特の宴会が形成されていきました。元禄2(1689)年には唐人(中国人)屋敷が造られ、長崎の人たちははじめて彼らのご馳走(中国料理)を知り、味わいました。それが、今日の「長崎卓袱(しっぽく/卓子)料理」の始まりです。

「お鰭」から見える長崎人の粋な文化

卓袱料理を、長崎を代表する料理として「この文化を100年先に残したい」と語るのは、「高野屋」の高野正安さん。延宝3(1675)年に創業し、ボラの卵巣で製造する〝長崎からすみ〟の元祖である老舗の14代目社長です。実際に、高野さん自身も30年前の結婚式で卓袱料理を振る舞ったそうです。

「私どもが作り続けてきたからすみも、卓袱料理の中に含まれます。日本料理、西洋料理、中華料理それぞれを取り入れており、長崎特有の歴史とともに存在します。乾杯の前に、『お鰭(ひれ)』をいただくのも、長崎ならではの文化だと思います。この伝統料理からは、長崎人のおもてなしの心が感じられるのです」と高野さんは語ります。

「お鰭」というのは、鯛の身とひれが入った吸い物のこと。「お客様おひとり様に対して鯛一尾を使っておもてなしさせていただきます」という意味が込められており、ここに長崎人の宴会においての粋が感じられます。

和食、中華、洋食(主にオランダ)の要素が互いに交じり合っていることから、「和華蘭(わからん)料理」とも評され、ここぞという宴の席で食べられる長崎伝統の料理。卓袱料理についての造詣を深めるため、江戸時代から続く老舗「料亭 青柳」を訪ねました。

卓袱料理の文化を守り継承する「料亭 青柳」

「遊びに行くなら 花月か中の茶屋 梅園裏門たたいて 丸山ぶうらぶら ぶらりぶらりというたもんだいちゅう」。江戸時代から明治初期にかけて長崎市内を中心に歌われ、芸妓の愛八が全国に広めたことで知られる民謡「長崎ぶらぶら節」の一節です。この歌の中にある花街丸山の地で、伝統的な卓袱料理や会席料理、鰻料理などを楽しむことができる料亭として青柳は営んでいます。

もともと江戸時代に宿屋として料亭春若屋・料亭杉本家が作られたのが青柳の発祥。料亭青柳の初代、山口貞雄氏が昭和23年に旧料亭杉本屋を購入し、営業を再開しました。そして、今もなお、歴史の糸は絶えることなく料亭の味と空間が紡がれています。
 
長崎市の象徴である平和祈念像を造った、彫刻家の北村西望が足繁く通ったお店としても知られています。そんな、料亭青柳の若旦那として出迎えるのが、山口広助さん。丸山町自治会会長や長崎歴史文化協会理事など、数多くの役を持って地域の活性化に尽力する長崎の歴史観光のプロでもあります。そんな山口さんに、料亭 青柳流の卓袱料理についてお聞きしました。

料亭青柳でしか味わえない料理と長崎らしさ

「青柳の卓袱料理も、基本的なところはほかのお店と一緒です」と山口さん。最初に登場するのが、お鰭(おひれ)。青柳では、四方鯛、しいたけ、青身野菜といった山・海・野の幸に加えて紅白もちが入っています。「乾杯より先にいただくことで、宴の雰囲気をやわらげます」と、その存在の意味を語ります。
 
続いて、長崎近海で獲れた新鮮な魚介類のお刺身をはじめ、海のもの、山のものを盛り合わせた「三品盛り」、隠元和尚が興福寺に初めてフジの豆を植えたという言い伝えに由来する十六寸豆の「ばら煮」、からすみ(青柳では長年、高野屋のからすみを愛用)や郷土菓子の「カスドース」、羊羹などの「口取り」、新鮮な魚を湯引した酢物、白身魚の切身を、黄卵を使った衣で揚げる長崎独特の「天麩羅」、そして、「果物」が円卓に並びます。

食事の中盤に出るのが、温かい物を中心とした「中鉢 」です。写真は、「パスティー」と呼ばれる、煮物を生地で包みオーブンで焼いた日本風のパイ料理。中に入るのは、豚肉をじっくりと煮込んだ角煮などです。

卓袱料理には角煮が入るのが一般的ですが、青柳はもともと鰻屋なので「鰻卓子(うなぎしっぽく)」というのも提供しています。「『ちゃんぽん』の理念のように関東風、関西風どちらの良いところも取り入れた長崎風の鰻をぜひご賞味ください」と山口さん。

そして、和食がメインとなる「大鉢(盛り合わせ)」。海の幸、山の幸を季節ごとに組み合わせることで、卓を彩り華を添えます。

最後は、〆の「梅椀 (甘いもの)」。シュガーロードの起点だった長崎では、当時貴重だった砂糖をふんだんに使うことが、最上級のおもてなしだったと言われています。紅白の丸餅入りのお汁粉を召し上がっていただき、宴は終わりを迎えます。

料理は時代で移り変われど、作法は変わらず残り続ける

山口さんが卓袱料理について、ご自身の思いを教えてくれました。「卓袱料理の文化が今の形に落ち着くまで、絶えず変化を続けてきました。今この瞬間のものを卓袱料理と思っているだけで、今後もいろんな食文化、食生活によって変化をしていくでしょう。ただ、基本は守っていかなければなりません。そのベースが作法です。昔から変わらず料亭の看板を掲げている以上、100年先にも残すべくマナーやルールを教えていきたいです」
 
マナーや出される料理の順番など、さまざまなルールがある卓袱料理。その具体的な作法を聞きました。「お鰭を食べ始めるときは、女将(おかっつぁま)の『お鰭(ひれ)をどうぞ』というあいさつで食事が始まります。それから、円卓を囲むこと。一卓一卓に大皿で数人分の料理を盛る卓子形式は、身分の上下に関わらず円卓を囲むことができます。そして、皿は一人二枚まで。昔は家庭でお客様をもてなしていたため、給仕の手間がかからぬようにとの心配りからきた作法です。最後に、直箸で取ること。お箸を返したり取り箸を使わずに直箸でお料理を取皿に取ってお召し上がりいただきます。『水臭いことは抜きにしましょう』ということからの作法です。ひとつ、ひとつの作法に意味があり、なぜそうするかということも踏まえてお客さんにもお伝えしています」

非合理的でも文化を守る歴史を紡ぐ意義とは

「合理的なことから背を向けてでもやっていかなければいけません。お店も、お客様も互いに学びながら、江戸時代でいうところの”遊び”を体現する。掛け軸を見たり、草木や花を愛でるとか、加えて丸山は花街ですから芸妓さんの三味の音色、舞を見て美しいと感じる。そこで出される料理を見て、食べて、おいしく感じる。そういう五感を発揮して過ごす場所というのが料亭の役割。今後も文化の発信拠点としての花街・丸山から、卓袱料理という長崎の伝統文化を、ささやかながら発信していきたいです」
 
100年先に残したい卓袱料理。ひとつの食文化を紡いできた長崎の歴史をひもときながら、料亭青柳自慢の卓袱料理を堪能してみてください。

施設情報はこちら

料亭 青柳
長崎県長崎市丸山町7−21
095-823-2281
無休
昼の部:12:00 〜 15:00、夜の部:18:00 〜 22:00(ともに要予約)

※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。

地域ナビゲーター

森 一峻

九州支部 地域ナビゲーター
森 一峻

長崎県東彼杵町在住。地元東彼杵町へ十数年前にUターンし、現在は東彼杵町を中心に長崎県の地域のコーディネーターとして活動中。自然派生していくまちのあり方を探求し地域にさわやかな風を吹かせたいと緩やかに活動しています。ライティングで大事にしていることは記事を読んでくださったみなさんにまるで地域を旅して地域の「ひと」「こと」「もの」と会っていただいたかと錯覚するぐらいの魅力を感じてもらえる表現をできたらと思っています。