大分県国東市

360年の想いを未来へ紡ぐ「くにさき七島藺」

2021.09.16

日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、九州支部の地域ナビゲーター・牧亜希子さんご自身の「100年先に残したいもの」をご紹介します。それは、大分県国東市の「くにさき七島藺(しちとうい)」です。

国東半島に伝わる七島藺のストーリー

みなさん、はじめまして。大分県出身・在住のふるさとLOVERSナビゲーター、牧亜希子です。大分県の観光情報発信に携わる機会が多く、長年にわたり大分県のすみからすみまでめぐってきました。新しい出会いを日々求めて、カメラ片手に車を走らせています。

「大分って行ったことないんだよね」というそこのあなた、大分のおもしろさは別府・湯布院にとどまりません! 温泉はもちろん自然も豊か、おいしいグルメもたくさんあって、そして風土も個性的。これから底無しの“大分沼”へいざなっていきますよ。
私が「100年先に残したいもの」は、江戸時代から畳表(畳の表面部分のこと)の素材として大分県国東(くにさき)市で栽培されている「七島藺(しちとうい)」。使うほどに美しい艶をまとうことと、なんといってもその香りの良さに魅力を感じています。栽培の難しさや時代の波により途絶えかけたこともありましたが、日本の文化の一つとして、ここ数年で改めてその希少性と価値が見直されてきました。伝統の灯を再燃させたのは、次世代へ引き継ぎたいと切に願う七島藺を受け継ぐ人々の努力と強い思いがあったからなのです。

琉球からやってきた、大分育ちの希少な産物

九州北東部の周防灘に、丸く突き出た国東(くにさき)半島に位置する国東市。ここで七島藺が栽培されています。国東市は大分空港がある空の玄関口で、山口県周南市とはフェリーでつながり、古くから海を介して人や文化が往来してきた場所です。海沿いでは爽やかな潮風を感じ、半島の中央には荒々しい岩山の独特な風景が広がります。
七島藺は、日本では国東半島で唯一栽培されるカヤツリグサ科の植物。畳表の材料になるもので、収穫したばかりの頃は青々としているのですが、使えば使うほどあめ色に変化し、艶が出て味わいが増していくのが特徴です。江戸時代に豊後(ぶんご)の商人が琉球から七島藺の株を持ち帰ったことから、大分県で七島藺の栽培が始まったと言われています。

畳表はイグサでつくられたものが多いですが、七島藺はイグサの5倍の耐久性があるといわれ、柔道場の畳になるほどの強度があります。
インテリアとして人気のある「琉球畳」は、実は大分で育った七島藺で作られた畳なのです。100%国東産の琉球畳はとても高価な高嶺の花。いつか自宅にほしいと思う憧れの素材です。

七島藺は4~5月にかけて株を植えます。田んぼに密集して育つため、機械で扱うことが難しくほとんどの作業が手植え、手刈り。株分けや水の管理も繊細で、丈夫で美しい七島藺を育てるためには細かな作業が続きます。さらに農家さんの作業は、植え付けから刈り取りでは終わりません。収穫後に七島藺を割き、しっかりと乾燥させ、秋から冬にやっと織りの工程にたどり着くものの、半自動織機でも一日一畳ほどを仕上げるのが精いっぱい。現在、6、7軒の農家さんが七島藺の栽培を支えています。それが七島藺が貴重とされる理由なのです。
360年におよぶ歴史ある産物は、かつてはこの地域を支える一大産業でもありましたが、年々衰退の一途をたどるばかり。現代の生活様式や生産性の効率化といった時流にあらがうことは難しいのでしょうか。

七島藺との運命の出会い

そんな状況の中、七島藺の救世主として現れたのが七島藺工芸作家の岩切千佳(いわきり ちか)さんです。私が千佳さんに初めて会ったのは7年前。千佳さんの作品に一目ぼれし、ぜひ取材したいとお願いしたのがきっかけでした。
宮崎県出身の千佳さんは大分の大学で美術を専攻し、卒業後、縁あって国東に移住。しかし仕事中、手術を4回も受けるほどのけがを左手に負ってしまいます。たまたまリハビリ中に七島藺の工芸士養成講座が開かれていることを知り、七島藺の魅力にのめり込んでいきました。

そこから千佳さんの人生の歯車は動き始めます。ほどなくして、小説家・葉室麟(はむろ りん)さん原作の映画「蜩(ひぐらし)ノ記」で、劇中に使用する円座と花ござの制作に携わることになり、七島藺を編む娘役で出演も。同時期に「くにさき七島藺振興会」で職員兼工芸士として一年間働くことが決まるなど、千佳さんの人生は七島藺に導かれていったのでした。

好機はまだまだ続きます。2013年には国東半島・宇佐地域の農林水産循環システムが世界農業遺産に認定され、七島藺も主な産物の一つとなり、さらに「くにさき七島藺畳表」が国の地理的表示保護制度(GI)にも登録。七島藺は地域に残すべき宝としての価値を見直す絶好のチャンスを得たのです。その追い風もあって「七島藺で生きていく」と決意した千佳さんは独立。七島藺の魅力を広く伝えるべく、活躍する場が少しずつ増えていきました。

心を込めて編み、紡ぐ“美山河(ミサンガ)”

千佳さんの営む「七島藺工房ななつむぎ」は、国東半島のほぼ真ん中あたりの場所に構えています。工房の扉を開けると、一瞬にして七島藺の青く若い香りに包み込まれます。なんとも清々しく、田舎に帰ってきたような懐かしさと安らぎをもたらす癒しの香り。私にとってはかぐわしい天然のアロマなような存在で、何度訪れても来るたびに思わず深呼吸をしてしまいます。工房にはお客さまに発送する直前の作品が並び、制作前の七島藺の束がたくさん置かれていました。
農家さんが大切に育てた七島藺は、畳表にするには規格外となるものも出てきます。それを使って、日用雑貨やアクセサリーなど畳表以外の別の形で世に生み出しているが千佳さんです。貴重な七島藺を無駄にはしません。

硬くて丈夫な七島藺を手早くリズミカルに編んでいくと、ギーギーとこすれる音が工房に鳴り響きます。スピード感がありながら編み目は均一かつ丁寧で、素材の艶やかさはまるで革のよう。たおやかな所作と正確な手元の動きから目が離せなくなります。

千佳さんの代表作は、上品な色に染めた七島藺で編んだオリジナルのミサンガ。国東半島の美しい自然で育った七島藺でつくるというストーリーにのせて、千佳さんのつくるミサンガは「くにさき美山河(ミサンガ)」と命名。地域の歴史ある産物を用いたオリジナル作品として手掛けています。

「美山河」は、最近ではJリーグクラブの大分トリニータの公式グッズとしても販売が決まりました。大分の活力に貢献したいと立ち上がった「MADE IN OITA BY TRINITAプロジェクト」から生まれたこのアイテムは“大分らしさ”そのもの。スタジアムを行き交うサポーターの腕には、千佳さんがこだわって何度も染め直した青と黄色のトリニータカラーが光ります。
また、JR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」では、乗車のお客さまを対象とした体験も担当し、今年で4年目に。さまざまな場所で出会い、七島藺の魅力を理解してくれた方々から直接商品の注文依頼が届くようになり、全国へと七島藺が広まりつつあります。

時代にフィットさせ次世代へつなぎたい

七島藺がたくさんの目と手にふれてもらえるようにと、大分県内、全国各地でワークショップも精力的に行っています(調整中のイベントもあり)。美山河をはじめ、コースターやお正月飾りなどの季節のお飾りを、誰でも気軽に作ることができます。商品は農家さんが織る畳表をはじめ、円座、ぞうりなど昔ながらのものに加え、鍋敷きや鶴や亀の縁起物のお飾りも人気商品に。千佳さんの温かみのある作風も手伝って、今の暮らしに合うデザインへ自然と進化してきたように感じます。
課題を抱えながらも、数少ない農家さんたちが毎年毎年大変な農作業をこなし、江戸時代から株分けをしながら七島藺を今に紡いでいます。これまで引き継いできたものを失うわけにはいかないという生産者の使命感と、価値を高めたいと願う工芸作家の本気度が、七島藺を未来に伝えていくための大きな原動力につながっているのです。

変幻自在な七島藺のポテンシャルは無限大。七島藺の素晴らしさを信じ、納得がいくまで丁寧につくり続けるという生産者と表現者の仕事ぶりが、これから先も七島藺がより多くの暮らしに寄り添う存在になっていくことでしょう。
私もいつか、あの手ざわりと香りを毎日ふれられるように、我が家に国東の農家さんが作った七島藺のある和室をつくるのが目下の目標です。

施設情報はこちら

施設名
七島藺工房ななつむぎ

住所
大分県国東市安岐町明治522

電話番号
090-9409-0632(岩切さん)

営業時間
10:00~16:00
※工房でのミサンガづくりの体験は完全予約制。お申し込みはメールで。nanatumugi710@gmail.com
世の中の状況次第でワークショップも各地で開催。SNSにて要確認を
休業日
不定休

※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。

地域ナビゲーター

牧 亜希子

九州支部 ふるさと大分の魅力案内人
牧 亜希子

大分県大分市出身、在住。大分県各地の魅力をデザインや言葉、写真を介して伝えることを生業に長年携わってきました。プランナー・ライターとして自分がいいなと思った直感を信じて「大分ならでは」「大分だからこそ」を表現し、愛するふるさとを編集し続けていきたいです。