山梨県富士河口湖町
江戸時代の味を今に受け継ぐ「日光羊羹」
2021.11.19
日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回「100年先に残したいもの」をご紹介いただいたのは、栃木県日光市にある西洋料理 明治の館の田中英雄さんです。
世界中から観光客が集まる、日本を代表する名所
日本を代表する観光地、栃木県日光市。「日光の社寺」として世界遺産に登録されている徳川家康公を神としてまつる日光東照宮や二荒山(ふたらさん)神社、輪王寺、自然の造形美を伝える華厳ノ滝(けごんのたき)や戦場ヶ原など、見どころ満載のエリアです。日光東照宮近辺には土産店や飲食店も並んでいるので、のんびり散策するのもおすすめですよ。
西洋料理の支配人がおすすめする、伝統の味
そんな日光の顔ともいえる日光東照宮に隣接しているのが、明治の息吹を伝える「明治の館」です。明治の館は、明治時代に建てられた洋館で西洋料理やスイーツを提供。観光客にも人気のレストランです。支配人を務める田中英雄(たなかひでお)さんに、「100年先に残したいもの」について尋ねたところ、特産物である「日光の羊羹」と教えていただきました。
「羊羹はお土産として買ったり、いただいたりして食べます。日本の食文化を知る上で、作り方や技法も含め、後世まで伝えていくことがとても大切なのだと感じさせられます」と田中さん。「とくに老舗といわれるお店の商品は、ぜひ一度ご賞味いただきたい」とのことでおすすめの老舗を訊ねたところ、日光羊羹発祥といわれる和菓子店「綿半(わたはん)本店」をご紹介いただきました。
江戸時代、ロマンスから生まれた日光羊羹
土産物店でにぎわう大通りから、少し入った御用邸通り沿いにある「綿半本店」。通りの突き当たりには「日光田母沢(にっこうたもざわ)御用邸記念公園」があり、以前はこちらがメイン通りとしてにぎわっていたそうです。
綿半本店の創業はなんと江戸時代の1787年(天明7年)まで遡ります。当時は相当な山間部であったであろう日光で、なぜ、贅沢品ともいわれた羊羹を販売することになったかというと…8代目店主の塚原弘展(つかはらひろのぶ)さんが、代々語り継がれている綿半の誕生秘話を話してくれました。
「初代、綿屋半兵衛(わたやはんべえ)は江戸で魚屋に勤めていました。そこで、配達先の旗本の娘と恋仲になりましたが、身分の違いから結婚することができず、日光奉行だった娘の祖父を頼って“駆け落ち”をしたそうです。そこで半兵衛は、江戸で売られていた羊羹を試行錯誤して作り、販売したのが日光羊羹の始まりです」とのこと。なんてロマンチックな物語!半兵衛のどんな困難をも乗り越えるチャレンジ精神と、揺るぎない愛が日光羊羹を生み出したのでしょう。
参拝に訪れる諸大名によって全国に広まった日光土産
初代は、隣の鹿沼(かぬま)市で栽培された良質の小豆と、日光の清らかな水を使って羊羹を製造。地元・輪王寺の法親王宮殿下に献上したところ、とても気に入られ、貴重な「山印」の使用を許可されました。さらに、日光へ参拝にくる諸大名へのご進物として配られたことから、日光羊羹は全国に知られるようになったのです。
「当時の日光は山の中にありました。食べ物もそんなに大層なものがなかったはずです。そんな中、江戸でも贅沢品であった羊羹が日光で売られているということで、インパクトがあったのではないでしょうか」と塚原さん。「日光羊羹」の人気の高まりに比例して羊羹屋さんも増え、昭和初期のピーク時には30軒あまりになったそうです。
当時の製法、素材を今に伝える「特製竹皮包煉羊羹」
江戸時代の製法や素材をそのまま伝えているのが、綿半の看板商品「特製竹皮包煉(ねり)羊羹」です。包み紙に記された、法親王宮殿下の“お墨付き”ともいえる「山印」は、当時と変わらず伝統的な製法を守り続けている証。手練りで丁寧に作っている煉羊羹は「コシと味に深みが出ます」と塚原さん。添加物は一切使わず、厳選された国産原料と日光の水で作っているのもこだわりです。
湿度や気温によって変える配合、練り具合もすべて職人の勘頼り。マグマのようにぐつぐつと煮える餡を長い柄杓(ひしゃく)のようなものでかき回すため、相当の労力も必要となります。このため、頑張っても1日33本が限界。予約必須の商品です。
漆黒の煉羊羹。小豆の風味が際立つ逸品
特製竹皮包煉羊羹は当時と変わらず、本物の竹の皮を使用。竹の皮を開くと、ツヤツヤと黒光りした美しい羊羹が…。「当時より砂糖の量は減らしましたが、小豆の量は変えていません。黒い色が深いのは小豆の量が多い証拠です」と塚原さんは話します。
甘さが控えめということもあり、余計に際立つ小豆の風味。コシのある食感も加わって、ついつい手が伸びてしまうほどクセになる味わいです。
200年以上愛される、もう1つの看板商品「日の輪」
綿半のもう1つの看板商品は、2代目が日光土産にと開発した「日の輪」。輪王寺の法親王宮殿下が気に入られて命名したおまんじゅうです。小麦粉を練った皮にこし餡を入れて丸めて焼いたもので、こちらも200年以上、変わらぬ素材、製法で作られています。シンプルだからこそ、あんこの味が楽しめる綿半のロングセラーです。
発祥の店としてのプレッシャー、自負、使命感
今でこそ、羊羹屋の数は減りましたが、日光のお土産の代表格であることに変わりはありません。その歴史を背負ってきた塚原さんは、「発祥の店というプレッシャーはありますね。昔ながらの製法を守らなければいけないし、味は落とせない。でも、だからこそ日光羊羹の歴史を背負っているという自負があります」と話します。
製法、素材も当時のまま受け継いでいるのは、日光羊羹発祥の店としての責任感と誇り。一方で、「こうした伝統を大切にしつつ、初代を見習って、新たなアクションを起こしていくことで日光の幅も広がっていくのではないかと思います。それも、発祥の店としての使命だと感じています」とのこと。
「日光羊羹」が生まれて230年余り。全国にその名を知られた日光羊羹はこれからもずっと、日光を代表する銘菓として愛されることでしょう。さらに、塚原さんのように伝統を受け継ぐ人々によって、今後、どんな日光名物が登場するのかも楽しみです。
地域ナビゲーター
関東支部 ふるさとLOVERSナビゲーター
斎藤 里香
群馬県在住。北関東と埼玉を中心に取材・執筆活動をしています。いろいろな「コト」や「モノ」に携わっている人々の“代弁者”として、頑張っている姿や魅力、人々の思いなどを少しでも多くの人たちに伝えられたら嬉しいです。