愛知県名古屋市

4世紀愛されてきた名古屋の料亭「河文」

2022.08.31

この記事では、日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介します。今回は愛知県名古屋市で最古の歴史を誇る「料亭 河文」の支配人であり、株式会社Plan・Do ・See・Tokai 河文の𠮷岡慎太郎(よしおかしんたろう)さんからお話を伺いました。

400年の歴史を紡ぐ名古屋最古の料亭 河文

愛知県名古屋市で、400年という市内最古の歴史を持つ老舗「料亭 河文(かわぶん)」。名古屋の中心ともいえる中区に位置し、市民の記念日や慶事を祝う場として世代を超えて愛されてきた場所です。

この料亭を100年先に残したいと紹介してくれたのは、株式会社Plan・Do ・See・Tokai 河文の𠮷岡慎太郎(よしおかしんたろう)さんです。「河文は、名古屋で4世紀を超えて愛されてきた、江戸時代から続く料亭。私たちは、この誇るべき歴史と文化をこれからも継承していきたいと思っています」。そう語る𠮷岡さんに、料亭 河文を案内していただきました。

門をくぐると出迎えてくれたのは、静かに佇む趣のある建物と溢れんばかりの木々の緑。打ち水がなされてうっすらと湿った敷石のせいか、外とは違う澄んだ空気が流れているように感じられます。この打ち水は、訪れるお客さんを清めるため、毎日行われているものです。

時を重ねてきた登録有形文化財の母屋

河文の建物の母屋部分は、2004年に国の登録有形文化財にも指定された数寄屋建築。名古屋屈指の劇場「旧御園(みその)座」の設計を手掛けた建築家の篠田進と川口喜代枝によるもので、その洗練された意匠と独特の雰囲気にただただ圧倒されます。

ラウンジとしても利用される茶房は、河文の美学や哲学に触れられる空間。静ひつさと重厚さをまとった空気を体感できるのは、この場所に足を踏み入れた者だけの特権です。ここにどのような人たちが集い、時を過ごし、話に花を咲かせてきたのでしょうか。

伝統と格式を併せ持つ水鏡の間

写真提供/河文
写真提供/河文

河文の象徴ともいえるのが、昭和を代表する建築家・谷口吉郎によって1973年に設計された「水鏡の間」です。窓の外には、世界的彫刻家である流政之が手掛けた石舞台や、四季折々の緑が水面に映る池泉が広がり、開放感溢れる優美な空間を演出しています。歴代の総理大臣が足繁く通い、近年ではG20外相主催の夕食会会場に選ばれるなど、国内外の要人をもてなす格式高い場所としてあまたの著名人に愛されてきました。

目指すのは100年愛される料理

写真提供/河文
写真提供/河文

そんな唯一無二の場所で味わえるのは、彩りに満ちた四季折々の会席料理。代々受け継がれてきた上質な器に美しく盛り付けられた旬の食材からは、板前の繊細な技術がうかがえます。部屋にしつらえられた季節の花と共に、四季の移ろいを五感で楽しむ、という会席料理の醍醐味がここにはあります。

「目指すものは、100年愛される料理。その上で大事にしているものが、時代性・量・地域性・季節感・シンプル感・素材の6つです。これらを大切にして、季節に合わせた会席料理を100年先も提供していければと思っているんです」と𠮷岡さんが話してくれました。

江戸時代からその名を馳せてきた老舗料亭

河文は、1kmほど北に位置する名古屋城と深い縁を持ち、築城と共にその長い歴史を歩んできました。江戸時代初期、現在の河文が面する魚の棚(うおのたな)通りで魚屋を開いた初代・河内屋文左衛門(かわちやぶんざえもん)が、尾張徳川家にその目利きを認められ、仕出し屋、料亭へと変遷を遂げたことが始まりとされています。敷地内の庭には、名古屋城につながる井戸も現存しており、有事の際に使用されていたという逸話も残っています。

名古屋を4世紀見守ってきた「椎ノ古木」

そして、河文の中庭東側にひっそり佇むこの「椎ノ古木」。この木は、名古屋城を築城する際の目印として東西南北に植えられた4本の木のうち、南の方角を担ったとされるもので、𠮷岡さんが特に100年後も大切にしていきたいと強く感じるものなのだといいます。

「幹の根から伝わる時流は、この場所を実際に訪れた人だけが感じとれるもので、決して切ることは許されないと感じています。この木は、500年の歳月が流れても変わらず残していきたい大切なものなんです」。木を見上げながら、𠮷岡さんはそう教えてくれました。

年月を感じさせる、太い幹。400年という長い間、ずっとこの場所で時代の移り変わりを見守ってきたのだと、その果てしない時の流れに思いを馳せずにはいられません。この椎ノ古木の真下では、年に二度、日本舞踊や能、歌舞伎などの古典芸能が繰り広げられ、伝統文化を発信する場所にもなっているのだとか。気が遠くなるほどの時を重ねてこの場所に立つ椎ノ古木は、これから先も名古屋の街や人々の営みを見つめ続けていくのでしょう。

お客さまの人生に寄り添い続けたい

お食い初め・初誕生・両家顔合わせや結婚披露宴など、お祝いの席として市民に選ばれ続けてきた料亭 河文。ここで親子二世代に渡り顔合わせをされたお客さんもいるという心温まるエピソードも。「これからもお客さまのお祝いごとを手伝わせていただける場所でいられたら嬉しいですね。家族が増え、子どもが生まれ、みんなで還暦のお祝いをする。そういった家族のお祝いごとが点になり線になり、最終的には回り続ける大きな円になる。その円に私たちが寄り添い続けられることを目指しています」

これからの河文について𠮷岡さんに聞くと、「私たちが創業以来大切にしてきたのは、おもてなしの心。お料理や給仕はもちろんのこと、時代背景に合わせて、車椅子を利用される方や海外からのお客さまにも安心してご利用いただけるような環境整備にも力を入れています。料亭という枠に囚われず、これからもお客さまを一番に思い精進していきたいと思っています」と真っ直ぐな目で話してくれました。

歴史と文化をおもてなしの心で紡いでいく

大切なことは、お客さんを第一に思い、かけがえのないひとときを提供したいという思い。歴史ある建物や趣向を凝らした会席料理のみでなく、四世紀を超えて守り続けてきた大切なものが、この場所にはしっかりと息づいているのだと感じました。多くの方の人生に寄り添っていく料亭 河文の思いは、きっと100年のその先も続いていくことでしょう。

地域ナビゲーター

山田 芽実

中部支部 愛知県ライター
山田 芽実

香川県で生まれ育ち、米国・京都・東ティモールを経て現在は愛知県名古屋市在住。土地やそこに住む人たちの「すてき」をゆるっとズバッと発見中。絵を描いたり、デザインをしたり、写真を撮ったりしています。