香川県坂出市

讃岐うどんの精神が伝わる「がもううどん」

2022.11.04

日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、香川県坂出市にある柿茶本舗の井上信忠さんに“うどん県”・香川の名店「がもううどん」をご紹介いただきました。

海と山に囲まれたまち・香川県坂出市

岡山県から瀬戸大橋でつながる四国の玄関口、香川県坂出市。本州と四国の間の島々を瀬戸大橋が結びます。香川県ではコンビニよりもうどん店が多いと言われますが、1日の合間におやつ代わりで食べるほど香川県民にとって馴染み深いのが“うどん”です。中でも坂出市には50軒を超えるうどん店があります。今回はその一軒である人気店「がもううどん」を訪ねました。

幼い頃から通いつづける場所

がもううどんを「100年先に残したいもの」として紹介してくれたのは、坂出市で柿の葉茶の製造・販売を行う柿茶本舗の井上信忠(いのうえのぶただ)社長。がもううどんには子どもの頃から通っており、東京出張から帰る際に毎度食べたくなるようななじみ深いうどん店だそうです。「工場や農園見学に来たお客さんを連れていくことも多いです。田んぼに囲まれた屋外の席でうどんを食べるシチュエーションに喜ばれていますね」と井上さん。
 
私自身、いろんなところでよくその名を耳にしていたものの、まだ訪れたことのなかった「がもううどん」。期待を胸に向かってみました。

行列の先に、素朴でやさしい味わいのうどんが待つ

夏の暑さが残る9月初め頃。JR予讃(よさん)線の鴨川駅から歩くこと15分ほど。稲穂が実った田んぼが広がる路地を進んでいくと、がもううどんの看板が見えました。平日の午前10時というのに、店の外まで列ができ、ひっきりなしにお客さんが来ていることに驚きます。がもううどんは午前8時30分から営業しており、朝ごはん代わりにうどんを食べに来る地元のお客さんも多いのだとか。

私も早速、列に加わりました。釜の前まで来ると、うどんの玉数と大か小、冷か温を伝えます。どんぶりにゆでたてのうどんを入れてもらったら、セルフでだし(香川では「つゆ」を「だし」と呼びます)を注ぎます。お好みで追加できる天ぷらやあげの中から、あげを選んで1枚のせました。店内は12席しかなく満席だったので、屋外の席へ。

駐車場前に並べられたベンチに座ると、眺める景色は民家や田んぼ。絶景というわけではないですが、坂出の日常に潜り込んだようで、そこがかえって観光客を和ませているのでしょう。

そんなことを思いながら、うどんをすすってみると、柔らかさがありながらほどよいコシを麺に感じた後、やさしい味わいのだしが染み入り、なんだかほっとしました。シンプルだけれど奥行きのあるおいしさが「また食べたくなる」とファンを呼んでいるのかもしれません。

落ち込んだ時に食べたくなった讃岐うどん

店が落ち着くタイミングを待って、がもううどんの蒲生諭志(がもうさとし)さんにお話を伺いました。がもううどんの創業は1959年。諭志さんと、諭志さんの父(2代目)、兄(3代目)の3世帯で営んでいます。諭志さんは富山で社会人生活を送っていましたが、仕事に行き詰まりを感じ29歳で家業に戻り、子どもの頃から手伝っていたうどん作りをもう一度学び直しました。

サラリーマン時代は仕事で落ち込むと、近くのショッピングモールでうどんをすすっていたと言います。「どうしてもうどんが食べたくなるんですよ。香川県民にとって、うどんがソウルフードであることをその時感じましたね」

生活者がはじめた肩肘張らないうどん作り

写真提供/がもううどん
写真提供/がもううどん

がもううどんは戦後、諭志さんの祖父母が始めました。戦前までは祖父は農家の麦刈りに行ったり、田植えを手伝いに行ったりしてお金を稼いでいたそうです。戦後は剪定の仕事も始めつつ、次第にまわりがうどん屋を始めたことから、右へ倣ってうどん屋も始めてみることに。そこで、まずは知り合いのうどん屋で1週間うどんづくりを学びました。それから、うどんの製造と飲食店の許可を同時にとり、すぐにうどん屋を始めたというから驚きます。うどん屋を始めてからも、剪定の方が儲かるので、店を休んで剪定の仕事にしょっちゅう行っていたと言うくらい、ゆるやかに営んでいたようです。昔の讃岐うどん店の多くは、職人の世界のイメージである「厳しい修業を経て一人前になる」といった文化はなかったと言います。

開業当初、お客さんは農家がほとんど。近所の田んぼで農作業をする人が昼食として食べに来ていました。当時は薬味やだしもなく、うどんに醤油と味の素だけをかけて食べるスタイル。昭和40年代は打ちたてやゆでたてのうどんを食べることはほとんどありませんでした。のびたうどんでも「おいしい」とみんなが食べていたと言います。

日々加減が変わる麺づくり

現在は諭志さんの父と諭志さんが麺を作り、兄がだしと天ぷらを担当しています。がもううどんの1日のはじまりは深夜0時30分頃から。最初に諭志さんの父が練り機を回し、1時頃から諭志さんが加わり、製麺を始めます。それと同時に諭志さんの兄が天ぷらやあげを作っていくのです。麺づくりを続けている中で、出てきたこだわりはあるかと諭志さんに尋ねてみると、「特になし!」と即答があったものの、少し経って「『変わらない麺づくり』が難しいんですよ」とつぶやきました。うどんの材料となる中力粉にはその都度いろんな品種が混合されていて、作るたびに加水など加減を変える必要があるのです。

「うどんブームやSNSが広まったことで、僕が帰ってきた頃に比べてお客さんのうどんに対する知識が増え、好みが変わってきているように感じます」と諭志さんは話します。例えば抽象的だった「麺のコシ」が、どういうものなのか理解され、お客さんの麺に求めるレベルが上がっているそうです。自分たちの作るうどんの筋は守りつつ、お客さんの求めるものに擦り合わせられるよう、日々麺づくりに励んでいます。

讃岐うどんに見える香川県民の精神性

人もうどんも格好をつけていないがもううどん。おいしさを生み出す裏側にある、洗練を目指したり、競争したりするのとは少しちがう、田舎ならではの小さい集まりで力を合わせて生活してきた牧歌的な空気を讃岐うどんに感じました。それはもしかしたら、紹介者の井上さんが「なぜか自然と行ってしまう」と言っていた魅力なのかもしれませんね。

とはいえ、諭志さんが香川に帰ってきた2007年頃は、県内に900軒ほどのうどん店が残っていたそうですが、今では600軒ほどまでに減ってしまったと言います。「個人のうどん屋が生き残っていくためには、うどん屋同士の横のつながりが大切だと思うんです。例えば僕は、香川県内のうどん屋を訪ねてSNSで紹介しています。そうすることで、お客さんが個人のうどん屋を知り来店するきっかけになってほしいんです」

SNSを利用するなど時代に合わせて変化しているようで、しっかり讃岐うどんの精神を引き継いでいることを感じました。時代を経てたくさんの人の憩いを導く、がもううどんの魅力。この原稿を書きながら、すでに私もまた食べたくなっているから驚きます。

施設情報はこちら

施設名
がもううどん
 
住所
香川県坂出市加茂町420-1
 
電話番号
0877-48-0409
 
営業時間
8:30~14:00頃(麺終了次第)、土曜・祝日は〜13:00頃(麺終了次第)
 
休業日
日曜、月曜(臨時休業あり)
 
※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。

地域ナビゲーター

坊野 美絵

四国支部 ライター
坊野 美絵

大阪生まれ。旅で訪れたことをきっかけに、2013年に香川県小豆島に移住。現在は文と写真で魅力を伝えることを大切にライターとして活動しています。香川県を中心に観光・医療・事業承継・農業などテーマはさまざまにインタビュー記事を執筆。私生活では暮らしに根ざした手仕事を、少しずつ実践していくことを楽しんでいます。