山梨県富士河口湖町
遍路の魅力が詰まった山岳霊場「碁石山」
2023.04.23
日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、香川県在住の地域ナビゲーター・坊野美絵さんの「100年先に残したいもの」をご紹介します。それは、香川・小豆島にある山岳霊場「碁石山」です。
独自の霊場から生まれた小豆島遍路
香川県の小豆島といえば醤油、そうめん、オリーブを思い浮かべる人が多いかもしれません。一方で、かつて小豆島は切り立った崖、洞窟が多い土地柄から修行の島と呼ばれていました。俗世間とのつながりを断てる離島という環境が山岳修行にうってつけだったからです。
香川県善通寺市で誕生したとされる弘法大師(空海)は、たびたび四国の自然の中で修行に励み、そこから八十八ヶ所の寺院などを選び「四国八十八ヶ所」を開創したといわれています。弘法大師ゆかりの修行地と伝えられる八十八ヶ所霊場を巡礼することを「遍路(へんろ)」、遍路をする人を「お遍路さん」と呼びます。
瀬戸内海周辺のいくつかの島々には、四国に渡り遍路をするのが大変な人のために「写し霊場(八十八ヶ所霊場と御本尊をまるごと真似て一ヶ所に集めた霊場)」がつくられました。一方、小豆島はもともとあったお寺や山岳霊場、堂庵をつないで八十八ヶ所としたオリジナルの霊場「小豆島八十八ヶ所霊場」があります。のちに弘法大師が京都へ行く道中に、小豆島でも山籠もりの修行をしていたという言い伝えが残っていることから、小さな島にも関わらず小豆島に独自の霊場が生まれた背景があるのです。
歩くことで気づいた島の景色
はじめまして。香川のふるさとLOVERSナビゲーター坊野です。私が遍路を体験したのは「小豆島女子へんろ」に参加したことが始まりです。小豆島女子へんろは島内外の女性を対象に、30人ほどで歩いて小豆島霊場を巡る試みでした。
島の生活は意外にも車中心。歩くことが少なく、あらためて島をじっくり歩いてみると、普段見落としていた景色を見つけることができました。また、島の起伏の激しい道を上り下り歩きつづける中で、日々の考えごとが一旦リセットされ、新鮮な空気を体に取り込めるような感覚がしたのです。縁遠かった遍路の印象がこの日以来、ガラッと変わりました。
遍路は歩きでも、車やバスでも巡り方に決まりはありません。昔は修行として覚悟を持って歩く人が多くいましたが、今ではもう少しラフになり、観光に、癒しにと目的もそれぞれ。服装も白装束や袖のない白衣(びゃくえ)をまとい、首には和袈裟(わげさ)、頭には菅笠(すげがさ)をかぶり、弘法大師の分身とされる金剛杖(こんごうづえ)を持つのが正装ですが、絶対の決まりではないのです。
ただ歩き遍路には動きやすい服装、歩きやすい靴は必須。最近では登山ウェアで挑む人の姿も。寺を巡拝するうえでの礼儀を忘れなければ、寛容で多様性のあるところが遍路のいいところだと私は思います。
私が遍路をするきっかけを作ってくれたのは、女子へんろを企画した一人であり、先達をしてくれた小豆島八十八ヶ所霊場第2番札所「碁石山(ごいしざん)」の堂守・大林慈空(おおばやしじくう)さんでした。今回は小豆島八十八ヶ所霊場の中でも、大林さんが堂守をつとめる碁石山をご紹介します。
日常から離れてリセットする時間
碁石山へは神戸と小豆島を結ぶ坂手港から車で20分ほど。醤油工場が集まる醤(ひしお)の郷から大嶽(おおだけ)がそびえる山の方に登っていくと、碁石山の駐車場に着きます。
駐車場から進んで、鳥居をくぐり、さらに階段を登っていくとあっとため息が漏れる景色が。
季節や光の加減で表情を変えていく、ないだ瀬戸内海に浮かぶ島の景色は、何度見ても見惚れてしまいます。少し登れば、島の形が分かる眺望が広がるのが小豆島の魅力。
そこから下に続く階段を下っていくとご本尊が祀られる岩屋のお堂の入り口があります。
一礼して中へ入ると、慈空さんが出迎えてくれました。これまで友人や知人が小豆島に遊びに来た時には何度も碁石山を案内してきましたが、慈空さんに会うといつもつい喋りすぎてしまうのです。遍路の歴史を分かりやすく教えてくれたり、脱線して趣味のカメラ機材の話になったり、話がつきません。
慈空さんが小豆島で暮らし始めたのは2009(平成21)年。親戚が住職を務める碁石山の継承を頼まれ、高野山での修行を終えた後に大阪から小豆島へ移り住みました。システムエンジニアから僧侶への大転身でした。慈空さんが碁石山の堂守に着任してからは、まずは訪ねてきた遍路行者に案内できるように、自分自身が小豆島八十八ヶ所霊場を巡ってみることに。実際に歩いてみると、想像以上に充実感がありました。「これは自信を持って遍路をすすめたい!」と思ったそうです。
「作法がわからなくても、引け目を感じたり萎縮したりせずに、まずはできる範囲で始めてみたらいいと思います。一ヶ所でも二ヶ所でも霊場に訪れてくれることで、遍路をやってみようと思う人が増えてくれたら嬉しいです」。
慈空さんはこれまで、「女子へんろ」以外にも中高生を対象にした「卒業遍路」など、さまざまな人を導いて遍路文化を広めてきました。「私も毎年、1年で一周するくらいのペースで巡っています。そのときの自分の状況、季節、天気、一緒に歩く人によって感じることがさまざまに変わるんです。遍路って一期一会だなと思いますね」。最近は「小豆島の坊主じくう」という名前で、YouTubeで遍路作法や仏教知識の解説をしたり、朝勤行をライブ配信したりと、手段をアップデートしながら積極的に発信し続けています。
碁石山へ来たらもう一つ、体験してみてもらいたいことがあります。それが、護摩祈祷(ごまきとう)。「家内安全」「身体健康」など願いが書かれた護摩木に名前を記入し堂守に渡すと、御本尊の前で一人一人読み上げてくれ、燃え盛る炎の中にくべられます。手を合わせてパチパチと燃え上がる音を聞きながら、堂守に合わせて読経していると、だんだん無心になって今に集中できるような感覚を得られるのです。終わった頃にはどこかスッキリとした気分に。
護摩祈祷で心を休めた後に見てほしい景色があります。岩屋から出て階段を登ったところにある鳥居のさらに上の階段を登ると、内海湾を見下ろす絶景を背景に佇むのは浪切不動明王(なみきりふどうみょうおう)。海上安全の仏さま、浪切不動明王にはおまじないのような言い伝えがあり、浪切不動明王のまわりを3回まわって願いごとをすると願いが叶うといわれています。実際にまわってみるとその迫力に圧倒されることでしょう。
小豆島遍路のはじまりは400年以上前
小豆島の遍路が史実に登場するのは1686(貞享3)年。江戸の初期には霊場が整備され、八十八ヶ所を巡拝していたと『小豆郡史』にありました。遍路に似た「辺路(へじ)」と呼ばれる海と陸の境を歩く修行が遍路の起源。小豆島で盛んに行われていた修行形態が四国でも模され、遍路となったという説もありますが、四国がはじまりか、はたまた小豆島がはじまりか、実際のところは分かりません。
小豆島遍路の特徴は、洞窟や崖地にある山岳霊場が多いことやコンパクトであること。歩いて約1週間、車で3泊4日ほどで一周することができます。
時代を巡り受け継がれる遍路
歩きながら、海や山からの景色、オリーブ畑、醤油の香りが漂う醤油蔵通りなどを眺望できるのが小豆島遍路ならではの魅力。霊場をまわっていると、堂守や住職とゆっくり話をしたり、島民が声をかけてくれたり、接待をしてくれたりとそこで暮らす人とのやりとりにもあたたかみを感じます。
昔は悩みを抱えた人が遍路修行に出たとも聞くように、歩き遍路をしてみると、歩きながらこれまでを振り返ったり、ときに歩くことに没頭していると無心が訪れたりと、忙しない日常ではなかなか得にくい時間が持てました。小豆島遍路は挑戦する人それぞれに多様な体験をもたらしてくれるからこそ、400年以上もの時を経てなお淘汰されなかったのではないかと思います。これからも残りつづけてほしいです。
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施設名
碁石山
住所
香川県小豆郡小豆島町苗羽
電話番号
0879-82-2181(不在時 0879-82-2180 常光寺)
【参拝時間】
開門:8:00から 閉門:16:00まで
※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。
地域ナビゲーター
四国支部 ライター
坊野 美絵
大阪生まれ。旅で訪れたことをきっかけに、2013年に香川県小豆島に移住。現在は文と写真で魅力を伝えることを大切にライターとして活動しています。香川県を中心に観光・医療・事業承継・農業などテーマはさまざまにインタビュー記事を執筆。私生活では暮らしに根ざした手仕事を、少しずつ実践していくことを楽しんでいます。