山梨県富士河口湖町
奥能登に伝わる農耕儀礼「あえのこと」
2021.01.08
この記事では、日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」を紹介します。
今回ご登場いただくのは、石川県奥能登の旧柳田村で、コシヒカリの一等米をつくりつづけている「むらのもちや」の福池(ふくいけ)さんです。
日本初の世界農業遺産に認定された地域
能登半島は石川県北部の日本海に突き出た地域。なかでも奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)は伝統的な農林漁法や食文化が息づき、豊かな「里海里山」の自然環境が広がります。訪れるとなぜか懐かしい気持ちになる......そんな日本の原風景が残されているエリアなのです。2011年6月には、日本で初となる「世界農業遺産」に認定され、県内外から注目を集めています。
四方を山々に囲まれた奥能登の旧柳田村で、コシヒカリの一等米をつくりつづけているのが「むらのもちや」の福池(ふくいけ)さん。お米マイスターである彼女も、この地の豊かな風土に魅せられた一人です。米づくりに携わる者として欠かすことのできない、この地に伝わるとある農耕儀礼こそ「100年先に残したいもの」だといいます。
各家でひっそりと受け継がれてきた伝統行事
奥能登地域では、古くから各家ごとに伝承されてきた「あえのこと」という農耕儀礼があります。「あえのこと」とは、毎年12月5日と2月9日に開催される「神様をもてなすハレの行事」のこと。12月は一年の感謝を込めて田の神様を家に迎え入れもてなし、2月には五穀豊穣を祈願し、田の神様を田んぼに送り出す儀礼が行われます。教えてくださった福池さんいわく、「神様と人間との距離感や感謝の気持ちが伝わる行事」なのだそう。
「あえのこと」は本来、各家でひっそりと執り行われるため、外に開かれた行事ではありません。しかし、1976年に国指定重要無形民俗文化財に指定、2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録されたことから、近年ではこの伝統を後世に伝えようとする取り組みも行われています。その一つ、石川県能登町にある合鹿庵(柳田植物公園内)では、「あえのこと」の実演が行われ、毎年多くの見学者が訪れます。
目の見えない田の神様を精一杯もてなす
稲の収穫もすっかり終わり、雪が降り出す間近の12月5日。「あえのこと」は着物に羽織姿で正装した主人が田んぼに赴き、田の神様を迎えに行くことからはじまります。田んぼに鍬(くわ)を3回打ち込み、「田を守ってくださいましてありがとうございました」と、ねぎらいの言葉を述べ、家に案内していきます。
道中、主人は「ここは段差になっております」「すべりますのでお気をつけください」とことあるごとに声がけを行います。田の神様は長年の農作業のなかで稲穂の葉先で目を突き、目が不自由であるとされているからです。
もちろん、田の神様は私たちには見ることができません。あたかも田の神様がその場にいるかのように振る舞い、実際におもてなしする。それが「あえのこと」の大きな特徴なのです。
田の神様を家に招き入れると、まずは囲炉裏で一服していただきます。田の神様は実はご夫婦。榊(さかき)を置く座布団もきちんと2枚用意されています。
「お風呂が沸きました。こちらでございます」。今度は田の神様を風呂場へご案内します。お風呂はちょうどよい湯加減のようです。田の神様はどうやら混浴でお風呂に入るようで......。ゆっくりとこれまでの疲れを癒していただきましょう。
お風呂の後は食事の時間です。座敷には二人分の御膳が準備されていました。まずは主人から、今年無事に収穫できたことへの感謝の言葉を述べ、続けて目の不自由な田の神様のために、料理の内容を一品一品説明していきます。説明は田の神様の正面から行うのが基本。御膳の横に近づくのは恐れ多いとされているそうです。
何度も言いますが、田の神様の姿は私たちには見えません。ですが、なぜか御膳の周りには神聖な空気が漂い、見ている私たちも思わず背筋が伸びてしまうのです。
すべての料理に縁起を担ぐ
御膳に乗った料理は、コシヒカリの小豆ご飯や納豆汁、煮しめ、刺身、たら汁、大根のなます(酢のもの)、尾頭付きの生のはちめ(メバル)など。食材は、すべて各家でつくったものや能登の豊かな里山里海で獲れた地物です。
実は、これらの料理には一つひとつにいわれがあります。例えば、赤飯ではなく小豆ご飯を出すのは「蒸す」が「虫」を連想させるから。納豆汁は粘り強く仕事ができるという意味が込められ、煮物や刺身をお供えするのは焼き物が「田が焼ける」ことを意味するといわれているからでした。日本人が食べ物で縁起を担ぐのは、今も昔も変わらないようです。
お腹いっぱい食べるための知恵
それにしても、輸送手段や冷凍技術がない頃に、これだけの量を集めるのは簡単なことではなかったはず。どの料理もできるだけ大振りに調理し、大盛りで盛りつけられているのは、十分に食べられなかった時代のおもてなしの現れだといわれています。
これらのお供えは儀礼の後にお下がりとして家族で分け合っていただきますが、ここにも先人たちのちょっとした知恵が。神様へのお供えは年貢の対象外となるため、田畑で獲れた食糧を神様に捧げる名目で、実は普段質素な暮らしをしている子どもたちにご飯をお腹いっぱい食べさせたいという目的があったともいわれています。「あえのこと」は農家にとって五穀豊穣を願うと同時に、唯一のごちそうの場でもあったのでしょう。年貢の取り立てが厳しい時代の、精一杯の親心を感じました。
豊作への願いを種籾に込めて
最後に主人は、農家の命である種籾(たねもみ)を守ってもらうよう田の神に祈願します。田の神様はこの籾俵(もみだわら)で年を越すといわれ、耕作前の2月9日に再び田の神を田んぼまで送り届けます。
まるで、田の神様がそこにいるかのような、厳かな空気を感じた「あえのこと」。普段私たちが当たり前のように食べている米や野菜に込められた農家の心や願いを知り、あらためて自然の恵みに深く感謝したのでした。この貴重な伝統文化がこれからも受け継がれていくことを願ってやみません。
施設情報はこちら
施設名
柳田植物公園内「合鹿庵」
住所
石川県鳳珠郡能登町字上町ロ部-1-1
電話番号
0768-76-1680
営業時間
9:00~17:30
※「あえのこと」は毎年12月5日と2月9日に実施(11:00頃から開始。要予約)
休業日
無休
※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。
地域ナビゲーター
中部支部 ローカルライター
石原 藍
大阪、東京、名古屋と都市部での暮らしを経て、福井に移住。地域コミュニティやものづくり、観光をテーマに Web や書籍、広報物の執筆を手がけています。「興味のあることは何でもやり、面白そうな人にはどこにでも会いに行く」をモットーに、自然にやさしく、自分にとっても心地よい生き方、働き方を模索しています。