ワークショップ参加者レポート

「景観を食べる」。大仙に広がる黄金、まもなく食卓へ

風光明媚な地域は多くあるが、大仙市の景観は「食べる」ことができる。
地平線まで続く黄金色は少し前まで青かった。地域の農家は今、稲刈りの真っ最中。
その一人である藤原正美さんは「米作りは1年で完結しない。反省と試行錯誤を繰り返している」と語っていた。
そんな藤原さんから景観の一部を分けていただいた。ほんのり甘く、つやつやしており、粒がしっかりしているお米が食卓へ並んだ。

YouTube | 大仙市地域おこし協力隊
https://www.youtube.com/watch?v=It2VObQOviM
【田舎便り#1】田んぼとお米のある日常@秋田県大仙市|大仙晴ノ褻[DAISEN HARE NO KE]

誰もが地元のものを売って買える場所「南外さいかい市」

「テーマは“みんなの店”です」。

「みんなの店」というのは、「誰でも気軽に買える店」「誰でも何でも売れる店」ということです。

大仙市南外外小友地区に、昨年10月、新しい市場がオープンしました。その名も「南外さいかい市」。外小友地区では、2013年にスーパーが閉店してから、スーパーがなく、地元の人々が不便をきたしていたので、待望の市場です。

山間地の高齢者が、肉、納豆、豆腐など、自分たちが最低限生活できるものを販売しておりますが、この市場の特長は、自分たちが育てたり採ったりした野菜などを販売できるということです。自分が値段を決めて、売れたときの喜びはひとしおです。温泉施設のそばにあり、外から訪れる人もたくさんいます。

今、山からマツタケを採ってきていますが、売ってもいいか、家にある古い皿を持ってきて売ってもいいかなどを、私は考えています。

ていねいに暮らす。忙しくても手作りにこだわる

大仙市のお母さん方は、暮らしに必要なものを手作りします。
私は、大仙市に住んでいたときは、お母さんが作ってくれた手作りのご飯が好きではありませんでした。でも、都会に出て暮らしてみたら、なぜかとても懐かしくなって、この春、大仙に戻ってきました。

毎日が忙しくなって、買った食べ物で簡単に暮らせるようになった現代。
買って楽をしてもいいはずなのに、大仙市のお母さん方は「体に入るものだから」と、時間を見つけては、情報交換しながら料理のアイデアを増やし、いろんなものを作ってくれています。

取材した日は、古くなったお米を利用して、近くの市場で出すお団子を試作している様子でした。

この時期は冬に向けて、柿を干したり、中にはもう、お節料理に入れる黒豆の心配をしているお母さんもいました。

自分がゆっくりできる時間を削って、家族のために、ご飯の支度をするお母さん方の優しさが、すてきでした。

やばい!俳人だらけのストリート

私が住む大仙市協和船岡の一ノ渡(いちのわたし)。自宅から歩いて数分の場所にある「雷(いかづち)神社」の境内に、2つの句碑がある。昔、近所に住んでいた2人の方の句碑だ。

木村非弗(ひぶつ)さん(明治6年〜昭和13年)と佐藤朴洞(ぼくどう)さん。

どんな人物だったのか、木村さんの子孫の方に取材してみた。

「私が生まれて半年で亡くなったので詳しくは知らないけど、私の名付け親だよ」

おぉ!取材した木村さんの名前は『幸男(さちお)』さん。すてきなお名前。

「反物を売る商売をしていて、当時は徒歩で大荷物を背負っての移動なので、俳句をネタに、あちこちの家で晩ご飯をご馳走になったり、一杯やって泊めてもらったりしていたようだ(商売が繁盛したかどうかはわからないが)」

ほうほう! でもなんで、俳句をやってたのかな?

「当時は誰でもやってたんだべ」

なるほど。
写真は拒否!でしたが、イケメンな幸男さんでした。
帰宅して、俳句が趣味であった祖母の部屋を捜索。色々資料が出てきた。

木村さんの自宅から一軒置いて隣のお宅には豊島苔石(とよしま・たいせき)さん。
筋向かいの数件先には菅原山翁(すがわら・さんおう)さん。この人は私の大伯父さまでした🤩
(石碑の場所が分からず、写真はなし)

この道沿いに4人の俳人の方々
みんな句碑がある!すごい!

木村さんによると、一ノ渡は現在100戸に満たない小さな集落なのですが、集落内の道が、かつての羽州街道であり、一里塚のあった場所だったとのこと!明治のころに一部、廃道になったので、旅人が集落内を往来することはなくなったそうです。もっと昔には、雄物川の支流に米を送るための荷揚げ場もあって、にぎやかな場所だったらしい!

今はウオーキングしても誰とも会わないこの集落だけれど、目を閉じると、さまざまな文化や芸術が生まれ、人々が行き交ったその当時の様子や人々が、生き生きと私の胸に蘇よみがえり、もっと調べてたくさんの人たちに伝えたいと思った、52歳の秋でした!

大仙市高梨で、花火とともに暮らす大曲の人々のハレの日を彩るローストチキン専門店・髙梨商店

髙梨商店は、130年以上の古民家をリノベーションした、実店舗と鮮やかなキッチンカーのバスを併用した仕出し&飲食の店です。

看板メニューは、『FIRE WORKS CHICKEN』という名のローストチキン。

ナラの木を使ってじっくり低温調理で燻されたチキンは、ジューシーで肉汁が溢れだします。原材料は塩と砂糖のみ。大仙市の「肉のわかば」と、横手市の食肉加工メーカーの「田園ハム」との共同開発。クリスマスやお中元、贈答品にピッタリです。

髙梨商店が、とっておきの日に注文を特別にオススメするのは『比内地鶏のローストチキン』!
ローストチキンに使っている比内地鶏を大切に育てているのは、大仙市協和で養鶏場を営む「ハピー農場」の吉川周平さん。

「広々とした環境で、鶏の飲み水や餌にもこだわり、160日以上をかけてじっくり育てています」と吉川さん。

注文後に屠畜・さばき処理をするので、とても新鮮。新鮮な比内地鶏を、髙梨商店でじっくり低温調理します。比内地鶏特有の、黄金のジューシーな肉汁と旨味の詰まった、ここでしか食べられないない逸品。特別なハレの日に。

敵じゃない 体重計は大親友

大仙市のふるさと納税のお礼の品になっている体組成計を紹介します。
実は、大仙市は日本で唯一、家庭用の体組成計が生産されているまちです。
「made in Japan」の体組成計があれば、それは全部大仙市生まれなのです。

体重計や体組成計と聞くと、「乗るのが怖い」って言う人がいます。増えていく数字を見て、敵のように思う人もいます。
でも考えてみてください。悪いことを伝えるとき、歯に衣着せぬ人っていないですよね。誰もがオブラートに包んでしまいます。
「毎日、太ってきてるんじゃない?」なんて、私は気まずくて言えません。
でも、体重計や体組成計に乗り続けると、どんな言いにくい結果でも、正直に教えてくれます。苦言を呈してくれる人こそ、真の友ではないでしょうか。
ちなみに、この体組成計は、はかった結果を数年単位で記録してくれる優れものです。

体重計や体組成計の言葉を受け止めて対策するもよし。無視するもよし。
私は最近、「無視する派」で生活していたら、せっかく減っていた体重が、見事に増量傾向にV字回復。
言いにくいことでも言ってくれる親友の言葉は、ちゃんと受け止めないといけませんね。明日の健康のために、大仙市生まれの体組成計に乗りましょう。。

大人の技を必死に盗むほど面白い、中仙町に400年続く郷土芸能「長野ささら」を未来に伝える担い手

秋田駅から車で約1時間ほどにある中仙町長野地区で、約400年前から先祖の供養と悪疫退散のため、獅子の面を被り、お盆期間だけ舞われる「長野ささら」。
その踊り手として、小学5年から20年以上、中仙町で活動している藤原智(ふじわら・さとる)さんがいます。
「『長野ささら』には、長い歴史や伝統だけではなく、ライフワークと化すほどの魅力と面白さが詰まっている」と藤原さんは語ります。

始めたきっかけは、小学校での長野ささら体験の募集。
他の参加者は祖父母や両親がやっていたなど、「長野ささら」が身近にある環境の人が多かった中、藤原さんは、ほぼ何も知らない状態で、「なんとなく」参加したそうです。

年に2か月程度の短い活動でしたが、徐々にその面白さや奥深さに気付き、「子ども用の簡略化された踊りでは飽き足らず、教わっていない大人の踊りを、目で見て自主的に必死に覚えた」と楽しそうに語ってくれました。

400年の歴史を絶やさないよう、今後は、「その楽しさを伝え、後世に継承していきたい」ということです。

酒蔵「秀よし」の社長が作る。年2日しか食べられない幻の濃厚魚介ラーメン

中仙地域の長野地区では、毎年9月10、11日に「長野神社の祭典」が行われる(2020年は新型コロナウイルスの影響で中止)。

まちには、出店やステージが立ち並び、賑やかで非日常的な2日間となる。

ここ長野に、「秀よし」という酒蔵を構える「合同会社 鈴木酒造店」がある。社長の鈴木直樹さんには、酒づくりのほかに、もう一つの顔がある。それは「美味いラーメンづくり」だ。

長野神社の祭典の日には、「古民家を改造した食堂」がオープンする。
その食堂で提供されるのが「限定魚介ラーメン」。出汁や麺にこだわった鈴木社長のラーメンだ。

魚介の旨味が凝縮されたトロッとしたスープに、太めの麺がからみ合い、「スープの旨みと麺のつるっとした喉越し」に来店者たちは舌鼓を打つ。食べればわかる、社長の「地元愛」が詰まった限定ラーメンを求めて、多くの人が古民家食堂に集う。

神社に仏像?! 静寂な森にたたずむ小沼神社

小京都・角館の隣、大仙市中仙地域・豊岡の小沼山の山頂にある小沼(こぬま)神社を紹介します。

社殿には平安時代の作といわれる、秋田県指定文化財の2体の観音像が祀られています。

「ん?神社に仏像?」と、思いませんか?

実は、古くから観音像を心霊として固有の信仰が行われてきた小沼地区。姿形は『仏様』ですが、宗教を越えて地域全体を守る神様のような存在として崇拝されています。明治のはじめ、廃仏毀釈で壊されそうになった仏像を、当時の氏子さんたちが必死に守って今に残っているそうです。

森の中にひっそりと現れる、私たちの心を癒やしてくれる神秘的な空間です。

Trick or Treat~マコモダケと知らないきのこ~

ハロウィン🎃気分で悪魔と化したコノハル(このめ&はるか)
今回は秋田県大仙市南外のお互いさまスーパー『南外さいかい市』をリポートします。
決め台詞はもちろんトリックオアトリート!
悪魔が欲するトリートは、「お菓子」ではなく「うまいモノ」。
2人が出会う、見たことのない不思議な食材たち。
そこで見つけたトリートとは。

狙うはHakuとの縁結び~唐松神社~

今回はみほが秋田県大仙市協和にある「唐松神社」をリポート。
室町時代に建てられ、縁結び・子宝・安産の神として知られる唐松神社。
無論、願うは「縁結び」。
マイナスイオンとご利益をたくさん浴びた彼女の前にあらわれる、もう一つの社殿とは、、、
幻想的なパワースポット「天日宮」の魅力と祀られる神についてのある噂を、レアキャラ『〇ステリーハンターみほ』がご紹介します。

里山で育てた米から生まれる地域の酒

大仙市南外地域にある、出羽鶴酒造は山間に位置する小さな酒蔵。
この蔵の発祥は江戸時代末期の1865年(慶応元年)にさかのぼる。蔵元である伊藤家の祖先は江戸時代初期に西日本から秋田へ移って来たという。
今も残る酒蔵発祥の蔵や、最古の部分で150年ほどの歴史がある家屋に、その時代の面影を感とることができる。

出羽鶴酒造は昭和40年代には約1万石(1.8L瓶換算で100万本)の日本酒を生産する規模だったが、今は米と水だけを原料とする純米酒を主体とし、年間1500石程度を丁寧に醸造する小さな酒蔵となっている。
この蔵が今目指しているのは、原料である酒米の栽培を蔵元と社員が担い、酒を醸造する「農醸一体」の酒造りである。

南外地区は山間に田んぼや農地が広がる風景が多く、まさに里山の中で農業がおこなわれている。
出羽鶴酒造ではこの地域の農家と酒米部会を設立し10町歩ほどの田圃に酒米を契約栽培しているが、今年、長らく休耕田となっていた農地を蔵元が田圃に戻し、新たに酒米栽培を開始した。
農業高校出身の蔵人や農家出身の社員が、契約農家の指導の下、春から種まき、苗つくり、田植え、草刈り、追肥作業、稲刈りをこなしていった。

無事に収穫された米は、先日米蔵に搬入され、まもなく仕込みが始まる。
里山に囲まれた田圃と酒蔵は、四季折々の風景を織りなし、訪れる人の目を楽しませてくれる。
出羽鶴の蔵や酒を楽しみながら南外地区をめぐる半日ほどの小さな旅はいかがだろうか。

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