半径1キロ圏内で豊かな『食』が揃う。
栃木市の南部に位置する岩舟町曲ヶ島地区
『自分で作ったものを売りたい!』という想いで、服飾雑貨の販売員から農業へと転職した筆者が、決して広くはないこの地域を初めて訪れたとき、多種多様な農畜産物が生産されていることに驚いた。米・麦・大豆の穀物をはじめ、ニラ・小松菜・トマト・ナス・里芋などの野菜類、巨峰・シャインマスカットなどのブドウ、幸水・にっこりなどの梨、干し柿・いちごなどのくだもの類、バラ・菊などの花卉、和牛や国産牛の肥育、そして鶏卵。商店が1件もないこの地域で、ここまで多くの農畜産物が生み出されている。
ステーキをメインに、ニラと小松菜のナムルを副菜に、自家製味噌のお味噌汁に、フルーツも付けて。その食卓には、もちろんバラも飾って。今夜の晩ごはんだけでも、とっても豪華で、生産者の顔が見えるのでお腹も心も満たされる。
ひとつ残念なのは、ほとんどの農家さんに後継者がいないこと。そして、丹精こめて作られたものは、ほとんどが市場に出荷され、地元でもなかなか流通していないこと。
この地域でお米・麦・大豆を生産する農業法人に勤めることになった筆者が、まずやりたかったことは、お米の直売と地域のおばちゃんたちと一緒に自家栽培した材料でお味噌を作ることだ。稲刈りを終えた田んぼ脇に友人を招いて、新米を羽釜で炊きあげる。具沢山の味噌汁とともに目の前で食べてもらい、その感想をすぐに聞くという、生産者だからこそ味わえる喜びを、会社のおじいちゃんたちに経験してもらうことからはじめた。農家側は、「作るよろこびから、食べてもらうよろこび」、そして、そこから生まれるやりがいや責任を自覚し、消費者側は、田んぼの景色や空気を感じながら食事をすることで、よりおいしく、農産物の大切さを学ぶ。大変だと思われがちな農業を、未経験者でも楽しめる充実した仕事だという姿を見せることで、仲間を増やして、先輩方から引き継いでいく。
『作物は足音で育つ』
ずっと農業をしてきた大先輩のおじいちゃんの一言が、農業を始めたばかりの私に染み渡り、今後の指針として励んでいくことを強く心に決めた。
観光スポットもなく地味な地域ではありますが、美味しい食べものと生産者のおじいちゃんたちに会いにいらしてください!私がご案内いたします。
栃木の木樽 醸す味噌は杉薫る
日光東照宮に続く杉並木に象徴されるように、栃木には杉が多く、杉を活用した特産品も数多くある。
栃木市で唯一人、伝統の手法で木樽を作り続けるのは、伝統工芸士の萩原幹雄さん(68)だ。
萩原さんは、木樽の魅力は「おてんとさまに近い」と話す。
街の中心部を流れる巴波川(うずまがわ)の舟運で栄えた商人の町、栃木県栃木市。かつては全国有数の生産高を誇った味噌工場があった。
味噌の流通には古くは木樽が使われた。萩原家は明治から続く樽屋で、萩原さんは3代目。しかし、昭和30年(1955年)代以降、プラスチック製品が世の中にあふれると樽屋は衰退。萩原さんが学校を卒業する頃にはプラスチック樽の木蓋しか作っていなかった。
そんな状況に「そんなんじゃ誰だってできる。つまんない」と萩原さんは反発。本人曰く「10年位プラプラしてた」そうだ。
映画監督にあこがれて、写真の専門学校に入り直し、栃木市の人々の生活にシャッターを切る日々。
そんななか、自然の素材だけで作り上げる家業の木樽作りの魅力に、改めて気づいた。
「樽は消耗品。それでも直し直し使える」と萩原さん。
木樽には水に強い杉の赤身を使う。
削る道具は先輩職人や親から受け継いだ年代モノ。
タガは、冬の寒い時期に1年分切り出した栃木市の真竹を使う。真竹を採りに入る山でも萩原さんの目利きが光る。
「皮がついた竹は若い。斜面の竹は癖が強い」
この竹を砂で磨いて艶を出し、使う人が怪我をしないように丁寧にささくれを処理してタガを巻く。
萩原さんの作る樽に惚れ込む人の注文も増えている。
注文者は「簡単に手に入る世の中だからこそ、作り手の顔が見えるものを使いたい」と手作り味噌の仕込みに萩原さんの樽を使うという。木の香りがうつる味噌。日を重ね熟成しその家の味となっていく。
栃木の街の歴史、職人の人生を映す栃木の木樽。
朝ごはんには絶対味噌汁を飲みたい私。
ここまで知ったら飲んでみたい木樽仕込の味噌汁。
次の冬は、木樽で味噌の仕込みに挑戦したい。
水害からの大変身! 子育て支援センターが、
ママが自分時間を過ごせる"カフェさくらさく"に
2019年10月の台風で、栃木市を流れる永野川が決壊し、栃木市は大きな水害被害を受けた。決壊した土手のそばにあった認定こども園さくらが壊滅状態になり、改築後、子育て支援センターが、カフェに変身した。
女性は、ママになった途端に人生が180度変わる。24時間、子供のための生活になる。子どもと一緒では、ご飯もゆっくり食べられない、自分に戻れる一人時間がない。
園長に聞いたコンセプトは、「ママが自分を思い出し、ほっと一息つける場所」。
カフェさくらさくのロフトには、広いキッズスペースがあり、たくさんあるおもちゃで子どもを遊ばせながらゆっくりランチが食べられる。
時々、保育士さんや園長が現れるので、お客さんは育児の相談もできる。
1階にはワーキングママが仕事もできるようにWi-Fiや電源が設備があり、大きなスクリーンには洋楽のBGMが流れて心地よい雰囲気。
付け加えると、ランチは非常に美味しいのに、ドリンク付きで780円と激安で、子育て世代に優しい。
更に、ランチ費用の一部は、東日本大震災で孤児になったこどもたちへの寄付に回しているとのこと。
ママがママでなく、自分に戻れる、お腹も心も満たされる最高のスポットだ。
激レア標識だらけの道!!
“寺坂峠” 「警笛鳴らせ」の標識16個
栃木市出流町と鹿沼市永野町をつなぐ寺坂峠は、片道約4kmのそれほど長くない山道ではあるが、出流から永野方面、永野から出流方面合わせて16個の激レア標識があった。
それは「警笛鳴らせ」の標識である。日常生活ではなかなかクラクションを鳴らす機会は少ないが、寺坂峠では16回もクラクションを鳴らさなければいけない。軽いストレス発散にもなるのではないだろうか。
「警笛鳴らせ」は車両通過時にクラクションを鳴らさなければいけない場所であることを示す道路標識であり、見通しのきかない山道などに設置されることがある。今ではカーブミラーの設置が進んでいるので、なかなか出会うことができない、かなり激レアな道路標識である。
それを一つ発見することも難しい中で、16個もの激レアの標識がある寺坂峠は、超激レアなスポットといえるだろう。
シャインマスカットがいっぱい! 圧巻の光景に
収穫が止まらない「大平ぶどう団地」でのぶどう狩り体験
栃木市の中央にそびえる、太平山(おおひらさん)。この太平山の南山麓は昔からぶどうの産地で、急な山道に100を超えるぶどう農園が軒を連ねる。
地元では「ぶどう団地」と呼ばれるこの一帯。私は、家族を連れてこの団地でぶどう狩り体験をしてきた。
訪れたのは7月上旬。露地栽培のぶどう狩りには少し時期が早いようで、ハウス栽培でのぶどう狩り体験。この時期にこの団地で唯一、ぶどう狩り体験ができるのがここ「つぶらぶどう園」である。
収穫前のぶどうは病害虫を防ぐために袋に包まれていると聞いていたが、ハウスの中のぶどうは、なんと全てむき出し。ありのまま実る大量のシャインマスカットが目の前に広がり、ハウスの中の蒸し暑ささえも忘れるほどの圧巻の光景。シャインマスカットの他にも、種無し巨峰を収穫。気付けば、予定していた数よりも多く収穫をしていた。
つぶらぶどう園は、収穫したぶどうの量り売りスタイル。ぶどう狩りの体験料や、ハウスへの入場料はなんと無料。
早く食べたい気持ちを抑えながら自宅へ帰り、実食!しっかり果肉が詰まっていて、ジューシーという言葉がぴったり。とても贅沢なランチデザートを家族で楽しむことができた。
※「つぶらぶどう園」の黒いタンクトップを着たイケメンのお兄さん、丁寧にご案内いただきありがとうございました。
栃木市、煎餅・だんごの武平作さんが、かき氷🍧屋さんに転身?
栃木市で南国🌺🌴気分を味わえるお店がここに!
夏本番‼️💦
思い立ったらなんとやら🎶
武平作だんご 🍘🍡さんの新商品✨を食べに行ってきた✌️😉
武平作とは…
煎餅・団子等を販売、栃木県銘菓のひとつとして栃木県内に4店舗。
出来たてを味わえるイートインコーナー(武平作茶屋)もあり、連日沢山のお客様に愛される名店である。
そんな武平作さんが2021年7月17日、夏季限定で氷屋武平作としてデビュー💗
以前からかき氷🍧はあったのだが、かき氷業界に本格的に参戦した🔥🔥🔥
その中の目玉商品として販売するのが……[かき氷のケーキ🍰]‼️ 甘党な私にとって🎶これは楽しみでしかない💖
来ました‼️ 噂通りのかき氷のケーキ🍰が登場✨
もう見た目が南国🌺🌴🍹👙✨💕🐠🌴
ゴロゴロ大きめマンゴー🥭、甘~いメロン🍈💖
たっぷりなマンゴー味の生クリーム(*´ω`*)
旨い💗(*´∀`*)
素早く食べても頭が「キーー〜ん🥶」ってならないのは氷❄️が良いんだろうね😘
めっちゃ美味かった😋
栃木市魅力発信特使として、新商品✨発信一番乗り出来たことに大満足?😋😋😆
この夏は武平作栃木本店で、デコレーションマンゴークリーム🥭を食べてSNS🌐に投稿しよう🎶
視線が変わると、街の景色も違って見えてくる。
歴史ある町並みでSUP体験
蔵の街と言われる栃木市。街の中心部には巴波川(うずまがわ)という川が流れ、歴史的な建物を眺めながら乗船できる遊覧船がシニアを中心とした観光客に人気である。そんな巴波川に、地元の人にも、若い世代の人にも興味を持ってもらおうと、新しいアクティビティ「SUP(スタンドアップパドル)ツアー」が始まった。
SUPはもともとハワイ発祥のスポーツ。ボードの上に立って、パドルで水面を漕ぎ進めていくものだ。日本でも海や湖などで楽しまれているが、実は川でも遊ぶことができる。
栃木市の街と川との距離の近さを利用し、身近なアクティビティとして巴波川でSUPを導入しようと考えたのは、蔵の街SUPを主催する遠藤翼さん(32)だ。
遠藤さんは2018年に栃木市にJターン。
「もともと水辺が好きで、栃木市への移住の決め手は”生活と水辺の距離感が近かったこと”も理由のひとつに挙げられます」。
自身で会社を立ち上げ、本業ではまちづくりのコンサルタントをしているが、会社の事業のひとつとして蔵の街SUPを展開している。
「ツアー化する前は、巴波川を一人でSUP下りしていました。SUP自体もまだ珍しいですし、巴波川で遊ぶ人なんていなかったので、最初は非常に驚かれましたし、河川を管理する土木事務所に通報されたこともありました(苦笑)。しかし声を掛けてくる方には自己紹介をして、身元を明かすことで徐々に警戒心が解かれ、今では皆さん手を振ってくれたり、挨拶してくれますよ」。
巴波川は江戸時代、栃木の特産品である材木や麻などを江戸へ運び、江戸からは海産物などを仕入れ、運ぶための水路として活用されていた。蔵の街SUPのツアーは、当時の荷揚げ場のひとつで、現存する唯一の河岸(かし)である平柳河岸からスタートし、約1.3kmをSUPで下るという内容である。
実際に私も初めてSUPに乗ってみたが、ツアーはSUPの乗り方レクチャーから始まり、川の流れや危ない場所についても説明してくれるので、初めてSUPに乗る人でも安心だ。途中いくつかある街中のスポットも紹介しながら進んでいくので、川下りをしながら名所も知ることができ、一度で2倍おいしい気分になる。
普段川沿いを歩くことはあっても、川から街を見るということはまずない。カワセミや、川を泳ぐヘビが近くを通り過ぎたり、川から見ないと気づかないような水路を発見したりすると、ワクワクする。そしてこの川を、江戸時代の人たちは江戸まで荷物を運んでいたのだと思うと、それだけでロマンを感じ、当時にタイムスリップしたような不思議な感覚に包まれる。
「巴波川は20年くらい前は関東有数の汚い川でした。またここ数年で川が氾濫したことで栃木市は水害を被っています。川にネガティブな印象を抱いている人も多いかもしれませんが、普段の穏やかな巴波川の景色は、人々の癒しでもあり、水辺のある風景は街の豊かさに繋がると感じています。地元の人にこそ、改めて巴波川の魅力に触れて欲しいです」と語る遠藤さん。
アクティビティを通じて、栃木の歴史や街に興味を持ってもらい、それが「栃木市っていいよね!」という思いに変わっていく。
巴波川を通じて「自分たちが暮らす街が好き」と思える人が増えることを願っている。
巴波川(うずまがわ)と水路のノスタルジア
〜栃木市の見処は蔵だけじゃない!
清らかな水の流れ、橋の風情。扇状地に栄えた蔵の街・栃木市には巴波川だけでなく県庁堀、沼和田用水など水路が街のそちこちにあり、街を歩く人々を癒しています。架かる橋は数知れず、犬も歩けば橋に当たるほど(笑)。そんな橋たちがスポットライトを浴びてもいいのではないか……そう思い立ち、巴波川と水路の橋めぐりを敢行しました。
ひたすらに川沿いを歩きます。水のせせらぎとともに現れる橋は年月を経た風貌のものも多く、石に味があります。
水路を悠々と泳ぐ鯉たち、鴨や鷺などの水鳥たち。運がよければカワセミにも出会えますよ!
蔵の中でゆっくり育つ麹菌~油伝味噌
巴波川(うずまがわ)の舟運によって物資の集散地として栄えた栃木市。国が選定する重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に指定された嘉右衛門町(かうえもんちょう)は、日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)に沿って見世蔵や土蔵が立ち並ぶ人気のスポットです。
そんな風情を醸し出している観光地の真っ只中で、味噌を作っているところがあります。
「油伝味噌(あぶでんみそ)」
油伝味噌は、江戸時代から味噌を作っており、今に続いています。
大豆と麹を仕込んだ樽を蔵にて熟成。白味噌は半年の熟成で出来上がるのだそうですが、赤味噌はさらに半年以上を要し、白味噌と赤味噌で材料に大きな違いはないのですが、熟成期間で変わるのだとか。では、白みそを購入して自宅にて保管すれば赤味噌になるのか?とお店の方に聞くと、「風味が悪くなるだけでよくならない。蔵で熟成するからこの味になるんです。蔵がいい仕事をしてくれるんです」とのお答えでした。
この味噌で作った味噌汁は味に深みがあり、優しい味わいは五臓六腑に染み渡ります。赤味噌でもクセがなく飲みやすく、どなたにも贈っても喜ばれそう。小さなお子さんのいるご家庭や年配者へのお土産としていかがでしょうか。
また、店内には田楽茶屋としてのスペースがあり、お豆腐や里芋の田楽をその場でいただくこともできます。
自然が創る天然色
~渡良瀬遊水地のヨシ原七変化~
栃木・群馬・茨城・埼玉の4県にまたがる渡良瀬遊水地。ここは山手線のおおよそ半分にあたる3,300ヘクタールの広さの巨大な遊水地だ。さらにその半分の面積の1,500ヘクタールには、本州以南最大のヨシ原が広がり、四季折々の表情を見せている。ワンシーズンだけでは伝えきれないヨシ原の「色」の魅力に迫る。
もともと、渡良瀬遊水地周辺は洪水に悩まされてきた地域で、いざと言う時に水を貯めるために造られ、周囲の家や財産を災害から守る地域の要だ。
普段はヨシ原や、全滅危惧種の花や野鳥の生息地として静かな一面がある一方で、アクティビティのメッカとして、プロの自転車レースやカヌー、ヨットなどのウォータースポーツ、熱気球飛行やスカイダイビングが楽しまれている。
さて、私がオススメしたいのは一見地味なヨシ原だ。ヨシは夏の日差しよけとなる「よしず」の原料となる地域資源のひとつで、良質なヨシを育てるため、毎年3月には地元の人が火をつける「ヨシ焼き」が行われている。枯色のヨシに火入れが始まると、一斉に赤色の炎が燃え広がり、土手上にはベストポジションを狙ったカメラマンがシャッターを切る。ヨシ焼き中の空は、この世の終わりかというくらい真っ黒な灰に覆われる。
そんなヨシ焼きが終わった次の日には、辺り一面真っ黒に焼かれた地面に一変し、焦げ臭い匂いが漂う。さらにひと月経つ頃には徐々に黄緑色のヨシの新芽が出て生命の息吹を感じられる。夏には背丈4メートルにもなる鮮やかな緑色のヨシとなり、秋にはオレンジなのか黄金色なのか、なに色とも言い表せられない草紅葉が目一杯広がり、まるで魔法の絨毯のようだ。
日本に四季があって良かった。
あまりに広大な渡良瀬遊水地、ぜひ自転車を借りてあなたの好きな「色」を見つけてほしい。
カレーにかけても香ってくる
焙煎によって引き出される香り えび屋焙煎七味
辛いものが苦手だった私。この焙煎七味に出逢い、いろいろな物にかけて辛みを楽しむようになりました。
昭和30年(1955年)に創業した、栃木市大平町にある唐辛子専門メーカーの海老沼食品株式会社。カレーやキムチなどを作る食品会社に唐辛子を提供しています。
この海老沼食品が作る「焙煎七味」。もともとはお世話になった方々へのお礼として、年の最後に感謝の気持ちを込めて作り、年末年始にお配りしていたことが始まりだそうです。
普通の七味との違いは豊かな香り。専門メーカーのノウハウを活かした匠の技。栃木の職人による、まさに焙煎の極み。
この七味、カレーライスにも使えます。元々香りの強いモノに入れても香らないのでは…?と思うのですが、これがまた美味しく活かされます。カレーの香りを邪魔せず見事に融合するのです。
焙煎することによって引き出される芳ばしい香りが、唐辛子と山椒の異なる辛みを際立たせるレインボースパイス(七味)。お試しあれ。
100年の時を超えて一栃木市を見守り続け、
未来に受け継がれる旧栃木町役場
栃木市内中心部、県庁堀のほとりにエメラルドグリーンのレトロな洋館がある。市指定文化財「旧栃木町役場」だ。 歴史を感じる佇まいからドラマのロケ地としても利用されている。
建てられたのは1921年。今からちょうど100年前のこと。元々栃木市には1884年まで栃木県庁があり、その跡地に栃木町役場として建てられた。以降、平成26年(2014年)まで栃木市役所の別館として親しまれていたが、このたび、市ゆかりの文学者を紹介する資料館 「栃木市立文学館」として復原改修され、新たな歴史を歩むこととなった。開館は2022年春の予定だ。
建物東の県庁堀沿いに大きな切り株がある。建物と共に街と人々を見守ってきたタラヨウの木がそこにあった。 樹勢が弱り倒木の恐れがあったため惜しまれながら伐採されたが、 地元の農業高校の生徒たちが元の木の枝から挿木により次の世代を育ててくれた。 今、新しい芽をぐんぐん成長させている。
100年後も旧栃木町役場はやさしく栃木市を見守り続けるだろう。
過去と未来を生きるタラヨウのように。
栃木市民にこそ伝えたい!
若者視点で人形山車の魅力を伝える団体「にんばや」
「ヤマトタケルに運命を感じました✨」。人生で初めて聞いた、すごく驚きのセリフだった。
このセリフは、「にんばや」の座長であるサヤさん(20代女性)が発した言葉である。「にんばや」は、正式名称を「人形囃子 栃木山車一座」といい、10代後半から20代にかけての若者3人で構成される。栃木市の人形山車とお囃子をこよなく愛し、広くPRする団体だ。3人は、前年2019年10月に開催された、とちぎの山車祭り伝承会・伝承人講座にて偶然知り合い、意気投合したことにより、2020年2月から活動を開始したという。
さて、栃木市には現在9基の人形山車と、1対の獅子頭があり、栃木市のメインストリートである大通り付近の町内で所有している。2年に1度、秋に開催される栃木市最大のお祭り、「とちぎ秋まつり」では、この豪華絢爛な人形山車と獅子頭がお囃子を奏でながら大通りなどを練り歩く。
サヤさんの言う「ヤマトタケル」とは、万町二丁目の人形山車であり、正式には日本武尊(やまとたけるのみこと)のこと。彼女は栃木市の隣にある小山市出身であり、2019年5月に令和への改元を祝して開催された、人形山車が勢ぞろいするイベント「とちぎ山車まつり~春の陣~」にて、日本武尊の人形を初めて見て【一目ぼれ】したとのことだ。そしてさらに、イベント後に調べてみたら、自分のお宮参りで参拝した神社にまつられた神様が日本武尊だったこともあり、運命を感じたそう。こうして彼女の「ヤマトタケル」愛は始まった。
今は、人形山車の研究、お囃子の公開練習や山車会館の山車入れ替え作業への参加、イベントの準備や開催などに大忙しな彼女だが、「人形山車が好きすぎるから、にんばやの活動を苦に思ったことはない」という。また「栃木市民にこそ、栃木市の宝である人形山車に誇りを持ってほしい」と彼女は言った。「これが『にんばや』の一番の目標」とのこと。市外の人に対してどのようにこの魅力を発信すればいいのかばかり考えていた私にとって、目から鱗だった。
現在「にんばや」は、市内で「人形山車コミュニケーション」というイベントを開催し、人々とエピソードを共有することで、人形山車の伝承につながるヒントを探している。次の「とちぎ秋まつり」に向けて、コミュニケーションスキルの上達も図っているそうだ。実際にこのイベントで彼女らと話した市民からは、「栃木市民でも知らない新たな人形山車の魅力を教わった」という声も。彼女らは、人形山車の伝承について学びながら、人形山車の魅力を発信している。
今後、「にんばや」の活躍により、老若男女問わず市民みんなが人形山車を愛し、それを広めていくことで、市外の人たちにも魅力がどんどん拡散されることとなるだろう。そして、「栃木市の宝」が長く伝承されていくことを願っている。
コロナの影響で2年延期されている「とちぎ秋まつり」が、来年盛大に開催されますように。
関東平野の端っこ、小さな集落のおじいちゃん・おばあちゃんが
みんなで作るやさしい味、真上の梅
関東平野が終わるところ、栃木県栃木市西方町真名子(まなご)の端っこ、山の中に位置する真上(まがみ)という小さな集落。
風光明媚なこの場所は、かつて「梅樹谷(うめのきだに)」と呼ばれた梅の名所でした。田崎草雲(たざきそううん)という明治時代の画家も愛した地です。
現在この集落では、高齢化が進む中、約10世帯25人ほどの住民が協力しながら梅を栽培しています。そのため、現代でも春が来る少し前には梅の花の香り、そして梅雨の時期には実の香りに包まれます。
この地域は、昔から変わらず「梅樹谷」だったわけではありません。真上の人々は、私の祖父(86)が幼いころから代々こんにゃく農家であり、私も幼少から畑を手伝っていました。家の庭と、少し離れた畑に何本かの梅の木があり、季節を感じる目印のひとつでしたが、当時の真上は一面こんにゃく畑だったのです。
しかし2003年ごろ、すべての家でこんにゃく栽培をやめました。そして、すべてのこんにゃく畑に梅の木を植えました。
「こんにゃくは体力がいる仕事だ」。祖父が70歳を迎える前、彼の口から出た言葉を今でも強く覚えています。
みんなが一生農家として暮らしていくため……高齢化が進む中、梅農家への転身は、集落の全員が集まり決めたことでした。栃木市と合併前、西方町役場の支援のもと、梅を作ってはどうかという話になり、みんなで植えたそうです。こうして、長い空白期間がありましたが、真上は再び梅の名所となりました。
梅農家に転身したおかげで、祖父は今でも毎日、梅農家として働いています。何度か体調を崩した時がありましたが、この年になっても、「畑に行ってくるよ」と毎朝家を出ていき、達成感のある顔で帰宅してお風呂に向かう祖父を誇りに思っています。毎年さらにおいしい梅を作るために、真上の住民みんなで切磋琢磨しながら、農家を続けています。
私は、祖父をはじめ近所のおじいちゃん、おばあちゃんに、これからも生きがいを持って生涯現役の農家を続けてほしい。だから、真上の梅農家がずっと続くことを願っています。
真上の梅は、旬の時期には直売所で販売しています。また、ジャムや梅干しなどにすることで、一年中真上の梅を味わうことができます。亡くなった祖母がよく、庭にある梅で、子供でも食べやすい少し甘い梅干を作ってくれました。小さい頃は、食べ過ぎて怒られるくらい食べていました。真上の梅は、そんなやさしい味がします。
空を飛んだ人だけが見られる日本一大きなハート!
熱気球から眺める朝靄の渡良瀬遊水地
4県4市2町に跨り、栃木市がその面積の71.2%を占める、日本最大の遊水地「渡良瀬遊水地」。
真ん中にはハート形の湖「谷中湖」があり、恋人の聖地にも登録されている。
しかし、この谷中湖、あまりの大きさ故にそのハートの形を確認できるのは空を飛んだ時だけ。
今回は高度1000m近くまで上昇する熱気球の「フリーフライト」を初めて体験し、実際にハートの形を眺めた感動について記載する。
まだ薄暗い朝5時、熱気球の立ち上げ準備が始まる。
熱気球は風の影響を大変受けやすく、主に気候が安定している時間帯(日の出から3時間以内など)に行われるアクティビティだからだ。
実は飛ぶ前日、「急に底が抜けたらどうしよう……携帯を落としたらどうしよう……」などとネガティブな事ばかりを考え、ほとんど寝られなかった私。
緊張しながらフライトを待った。
日が昇り、バーナーで球皮内の空気を暖め、いざ離陸。私の緊張はピークに達した。
しかし、その2秒後にはマイナスな感情や緊張は一切なくなっていた。
「最高!!!!!」それ以外の言葉が出てこない。
初めて肉眼で確認する谷中湖のハート形、美しい朝靄の景色、上空の澄んだ空気、日常では絶対に味わえないドキドキ感。
いつも見ている風景が、空から見ることでこんなに変わるのか。
目に映る景色すべてが新鮮で、小学生の頃に戻ったように興奮し、フライトを満喫した。
パイロットの方も非常に親切で、本当にいい経験をさせていただいた。
心から感謝したい。
高度1000m近くまで上昇する「フリーフライト」はハードルが高い……という方は、熱気球と地上をロープで結び、高さ20~30m程度まで上昇する「係留飛行体験」もおすすめだ。
実は渡良瀬遊水地の上空は、一年を通して気候が安定していることや、電線がほとんどないことから「日本で一番自由な空」と言われている。
もし、興味のある方がいたら、少しの勇気をもって、是非空の旅を体験してもらいたい。
栃木市にある日本一大きなハート。肉眼で見られるのは、日本一自由な空を飛んだ時だけ。
鉄道の番組(鉄ラジ857番線)で全国と繋がるFMくらら857
東日本大震災後、全国各地に開局した防災ラジオ📻を兼ねた地元のコミュニティFMだが、その中で、鉄道番組を持つ局は少ない。しかし、栃木市にある「FMくらら857」では、鉄道好きなパーソナリティの菅沼勇也さんが企画する「鉄ラジ!857番線」という番組がある。アシスタントは、同局人気パーソナリティの鳩山恵利果さん。857番線は、FMくららの周波数85.7MHzから取っている。
昨年11月には、東海地方の局・メディアスエフエムの鉄道番組「小倉沙耶の鉄道物語」にてパーソナリティを務める、鉄道アーティストの小倉沙耶さんが、「鉄ラジ!857番線」にゲスト出演された。コミュニティFMの鉄道番組の相互乗り入れが叶った。自分は、その時にスタジオの外で観ていて、とても感動した。その後、市内・県内のみならず他県からも番組にメッセージが多く寄せられるようになり、お陰で自分のメッセージも全て読んで貰えず、名前だけになることもある。
そんなFMくらら857は、栃木県では一番早くに開局したコミュニティFMで、ケーブルテレビ株式会社が運営している。スタジオは、栃木ケーブルテレビ本社内と、市街地のコエド市場内の2箇所。時間帯によってスタジオを使い分けて、日々、栃木市の情報を発信している。2019年の台風19号による災害時も、災害防災ラジオとして、しっかり情報を伝えていた。
また、「Clubくらら857」というも会員サービスもあり、シリアルナンバー入りのClubくらら857カードが会費なしで作れる。会員優待を提供する加盟店等が掲載される「Clubくらら857マガジン」は3ヶ月毎に発行され、会員はそれに即したカード特典を受けられる。
視聴は、ブラウザやアプリの「FM++」にて、全国の放送局から「FMくらら857」を選ぶだけ。是非聴いてみてほしい。
「続ける」ことをひたすらに続けてきた、
栃木市の老若男女に愛されるHowdy’S&Cafe
栃木市の小平町に2007年から続くカフェがある。お店の名前はHowdy’S&Cafe。栃木市に住み始めて5年をむかえた筆者が、初めて「また訪れたい」と感じたカフェだ。店内ではアメリカ雑貨も販売しており、10年以上の常連さんが多く、客層もとても幅広い。そんな老若男女を惹きつける魅力を知るために、みっちりとお話を伺った。
「自営業をやるなんて夢にも思わなかった」。そう語るオーナー、五十畑史恵(いかはたふみえ)さんがこのお店をはじめたのは、同級生からの誘いがきっかけだった。メインだったアメリカ雑貨の認知を目的に始めたサブ要素だったカフェが、いつのまにかメインになっていたという。アメリカ雑貨がメインだったとは思いもしていなかったので、筆者はとても驚いた。お店の名前の由来も驚きで、雑貨の仕入れ先であるカリフォルニアのショップオーナーがおすすめしてくれた看板に書かれていたのが、「ハウディーズ」だったため、それをそのまま使ったのそうだ。このエピソードをうかがった時点で取材開始から10分程度だったが、オーナーさんのお話にすっかり惹き込まれてしまった。
岩舟町から小平町に移転した現在のお店は、なんと築70年以上の建物! リノベーションはもちろんオーナーさんたち自身が行った。「こだわりの食材は、県内の道の駅をすべて探し歩いて見つけたもので、ツテのない0からのスタートにとても苦労した」と語ってくれた。カフェの運営に奔走するオーナーさんの姿を想像し、胸が熱くなった。
なかでも印象的だったお話がある。当時高校生だった常連客が、同じ市内の川原田町にある「la panxa(ラパンチャ)」というパン屋を創業し、現在Howdy’S&Cafeのハンバーガーのバンズを提供しているというのだ!オーナーさんがカフェを続けてきたからこそ紡がれた素敵な縁に、とても感動した。そんなオーナーさんが大事にしている考えは、「変わらないこと、流されないようにすること」。そんな1本の軸があるからこそ、17年ものあいだお店が続いてきたように感じた。長い年月であるから、存続の危機は何度も迎えたという。五十畑さんは、「そんなときも『続けるためにはどうするか』を懸命に考え行動することで危機を乗り越えてきた」と飾らない雰囲気で明るく話してくれた。
今回取材をさせていただいて、続けるという努力を続けてきたHowdy’S&Cafeだからこそ、多様な客層や多くの常連客をつくり上げているのだと確信した。困難にぶつかっても、試行錯誤で乗り越える。Howdy’S&Cafeというお店は、オーナーさんの人生がつまった宝物なんだと感じたとき、お店に並ぶアメリカ雑貨やテイクアウトしたハンバーガーが今まで以上にきらめいて見えた。
自分のお気に入りが形になる
小曽戸製作所の「いちひこ帆布」
普段の生活の中でカバンやペンケース、メガネケースを使う機会が多いと思います。皆さんは普段から使うものは自分の気に入ったものが良いと思ったことはありませんか? その希望にかなう帆布商品を製作している工房が、栃木市梅沢町にあります。
その名も「小曽戸製作所」です。
ここでは「いちひこ帆布」という帆布製品のオリジナルブランドを立ち上げ、カバンやペンケース、メガネケースといった日常的に使うモノから、コロナ禍では必須となったマスクを収納しておくためのマスクケースなど、日常生活では欠かせない道具を製作しています。他にも、テントを固定するためのペグを収納するペグケースなど、アウトドアの場面にも欠かせない道具の製作も行っています。
そして、全ての商品が、帆布という生地を使用して、手作業によって作られています。
帆布のカラーが多様で、見ているだけでも楽しみがあり、自分の好きな色を選ぶことができます。私は緑色が好きなので、グリーン系のペンケースを使用しています!オーダーメイドも可能で、自分の好きな色、生地でカスタマイズすることができます。
小曽戸製作所の歴史について、職人さんに聞いてみました。
52年の歴史がある小曽戸製作所は、古くからテントやゴルフバッグなどの厚物の仕事を行ってきたそうです。「厚物の仕事で培ってきた技術を活かして何かできないかを考えていた時に、別の仕事で使った布を使ってバッグを作ってみた」とのこと。その布こそが帆布でした。帆布は丈夫で厚いことから、通常のミシンで縫うのは難しい生地ですが、小曽戸製作所では長年のスキルを活かして帆布100%のバッグを作ることができたのです。
それでは何故、当時思いつきで使った帆布を、今でも取り扱っているのか。職人さんによると、「長年培ってきた技術でバッグができたときに、何かピンときた」からだそうです。その後、イベントなどに帆布製品を出すにつれて、徐々にお客さんからの評価する反応が返ってきて、その積み重ねがあって確信に変わっていったとのこと。
歴史やこだわりを持つ小曽戸製作所。自分の暮らしに沿ったお気に入りを見つけたい人は、ぜひ足を運んでみてください。
長く続く掃除道具! 都賀の座敷箒!
栃木市にある都賀町発祥の、都賀の座敷箒。その中でも比較的作りやすい「子箒」作りを体験した。体験会では、都賀の座敷箒は「穂先がボロボロになったら先端から切っていくことにより、どんどん穂が固まっていく」という特徴があるので、細かい所も掃除ができるようになるという話を聞いた。使用用途を変化させながら、約20年もの長い期間使い続けられることに、とても利便性を感じて感動した!
都賀の座敷箒は、県内で栃木市に1名いる職人の手作業で作られており、細部までしっかり作り込まれていて、魂が籠った箒である。
《都賀の座敷箒》
栃木市にある心安らぐ喫茶店
栃木駅の北口を出て、少し歩いたところにある昭和から時が止まっているような細い道に「喫茶BAKU」という喫茶店がある。サンドイッチ、オリジナルブレンドのコーヒーやピラフを味わえるこの店は夫婦2人で長年にわたり営まれている。私が食べたベーコンピラフはバターが香り高く甘い。全てに優しさを感じられるこの喫茶店で是非とも休んでいってほしい。