静かな渓谷に鍛造の音が響く
兵庫県相生市の感状山城(かんじょうさんじょう)跡へ向かう山道には、時の経過を忘れさせる風景が広がっています。せせらぐ小川や苔むした巨石、高く伸びる木々、岩窟のなかに仏様がずらりと並ぶ「羅漢(らかん)石仏」を前にすると、その神秘的な美しさに思わず足が止まってしまいます。
そんな静かな森に、時折りこだまする高い音。「カーン、カーン、カーン」と何かを強くたたくような音が、山道のぴんと張り詰めた空気を破って聞こえてきます。一音一音が鋭く、自然と姿勢を正したくなる響きです。ふもとに下りると、音の出どころがはっきりしてきました。
備前伝の刀匠が日本刀を作る工房
山から水を引いたこの水車小屋は、2010年に刀鍛冶(かたなかじ/日本刀の刀身を作る職人)の桔梗隼光(ききょう・はやみつ)さんが開いた日本刀の工房(鍛刀場)で、不思議な音は隼光さんが熱した鋼をたたいて延ばす音だったのです。
隼光さんは“名刀”の代名詞とも言われる備前伝(現在の岡山県を中心とする刀工の流派)の刀鍛冶です。刀鍛冶は刀匠(とうしょう)とも呼ばれ、その資格を持つ人のもとで5年以上修行した後、文化庁主催の実地試験を修了しなければなりません。隼光さんは2005年に刀鍛冶として京都で独立し、千年を越える歴史がある日本刀を伝統の手法で作り続けています。
玉鋼から作る小刀は刃紋も浮かぶ本格仕様
今回紹介する相生市の返礼品は、桔梗隼光さんが日本刀の材料を用いて、日本刀の製作技法で作る小刀です。全長約19cm、刀身約7cmのミニサイズながら、白く見える部分に「焼き入れ」によって刃紋がしっかりと浮かび上がります。
目の前の火と鋼にひたすら向き合う
そもそも、日本刀はどうやって作るのでしょう。まず、たたら製鉄(砂鉄と木炭をもとに純度の高い鉄を生産する日本古来の製鉄法)でできた良質な「玉鋼(たまはがね)」の小片を、1300度くらいまで松炭で熱して一体化します。赤土の泥を塗ってホイル焼きのように包むことで芯までじっくり熱が通るのだそう。一体化した鋼にたがね(木工用ののみに似た鋼鉄製の工具)を入れて何度も十文字に折り返して鍛錬することで、鋼から不純物を除き、炭素量を調整します。
炭の中では鋼が真っ赤に燃え上がり、工房内に熱気が充満します。一心不乱に鍛造ハンマーや大槌で鍛錬する隼光さんの周りには、オレンジ色の火花が飛び散ります。炭素量が多く堅い皮鉄(かわがね)をU字形に打ち曲げたら、炭素量が少なく粘りのある心鉄(しんがね)を包むように組み合わせて火床(ほど)に入れ、一体化。これを日本刀の形に延ばし、さらに、手槌でたたきながら刀の切先を打ち出します。
ここからが、「焼き入れ」と呼ばれる、刀に魂を入れる重要な工程です。やすりがけをして綿密に削り整えた刀に、粘土や炭、砥石(といし)を混ぜた焼刃土(やきばつち)を塗り、約800度に熱してから水中に投入します。急冷することで、焼刃土の塗り方に応じて異なる刃紋が浮かび上がってきます。刀鍛冶はこれを研いでから専門の研師に引き渡し、彫師、鞘師(さやし)などの職人の手を経てようやく日本刀は完成に至ります。
漆黒の持ち手にも一工夫
製作に半年から1年ほどかかる日本刀に比べて、ミニサイズで、皮鉄と心鉄の組み合わせの工程がない小刀は短期間で完成します。早ければ2~3日ででき上がりますが、仕上げにはひと手間をかけています。持ち手となる部分に特殊な液体を塗って1週間かけて錆びさせ、お茶で20分ほど煮るのです。こうすると、お茶のタンニンが鉄分に反応して真っ黒になるのだそう。そこに蝋を塗ってつやを出し、刃先を念入りに研いで整えます。
桔梗隼光鍛刀場で見学も可能
鍛刀場のなかには、日本刀ができるまでの工程がわかりやすく写真付きでまとめられています。隼光さんが作業をしている間、工房内は自由に見学できるほか、予約をすれば鍛錬の見学や小刀づくりの体験も可能です。
桔梗隼光鍛刀場のある羅漢渓谷は森林浴にも最適で、周辺にはコテージや屋根付きバーベキューパークが整備された施設「羅漢の里」が広がっています。川遊びやバーベキュー帰りの親子連れが立ち寄ってじっと刀作りに見入ったり、日本刀に関心のある人や写真愛好家が遠方から鍛刀場を目指してやって来たりすることもあるのだといいます。
会社員を経て刀鍛冶の世界に飛び込んだ
隼光さんが刀鍛冶を目指したのも鍛刀場の見学がきっかけでした。教育学部美術学科を卒業し会社員として働いていた隼光さんは、人間国宝に認定された刀匠に密着したテレビ番組を見て匠の世界にひかれ、備前長船刀剣博物館を訪問します。
ここでのちの師匠が大鎚をふるって鍛錬をする姿を目にして、「やってみたい」との気持ちが膨らみました。一念発起して入門した刀鍛冶の世界では、炭切りなどの地道な作業から見よう見まねで学び、日本刀の不思議な魅力にますます引き込まれていきました。
自然の法則と刀匠の作意のせめぎ合い
刀の製作は、どんなに技術が上がっても100%コントロールできるものではなく、自然の法則に従わなければならないと隼光さんは言います。鋼に無理をさせることなく、ある程度火に任せることが必要だというのです。唯一その例外は、鋼を急速に冷やして焼きを入れるとき。鋼は強く反り、負荷に耐えられない場合は割れてしまいます。刀鍛冶の作意と自然とがせめぎ合うこの瞬間、刀に命が吹き込まれるのです。
地金や刃紋の惑わすような美しさに見とれながら、最後に素朴な疑問をひとつ投げかけてみました。「この小刀で、物を切ってもいいんでしょうか」。隼光さんの答えは「もちろん。木箱にしまっておいて、時々取り出してライトをかざして眺めてもらうのもいいですけれど。デスクまわりに封筒や紙や紐なんか切るものがあったらね、ぜひ使ってみてください」。力強く美しい日本刀の世界に一歩踏み出すなら、実用性を兼ね備えた隼光さんの小刀がうってつけ、というわけです。
近畿支部(兵庫県相生市担当)/ 堀 まどか(ほり まどか)
兵庫県生まれ、在住。街と海と山の近さがお気に入り。通訳案内士(英語ガイド)として、また地域と観光を切り口にしたフォトライターとして西日本のおもしろさを伝えています。さまざまな地域の魅力を再発見する喜びをお宅の玄関先まで届けたい。そんな気持ちでナビゲーターを務めます。
相生市といえば牡蠣!海のイメージが強いまちですが、森や城跡などの知られざる魅力もいっぱいです。