こだわりポイントをご紹介
沖縄で40年以上続く丸焼き専門店「沖縄丸鶏製造所ブエノチキン」にて焼き上げたアチコーコー(熱々)ブエノチキンをそのままパック。保存料や着色料を加えていないのに冷凍で9ヶ月も保存可能なんです!特別な調味料は使っていませんが、製造に関わる皆が「美味しくなあれ」と思いを込めて作っトリます^^特別な記念日にトリ寄せるのはもちろん、冷凍庫にストックしてあるという常連さまも多いんですよ。
わたしたちが作っています
ブエノチキンは1982年、沖縄出身の幸喜コウエイとサチコ2人が始めたお店。一人娘も後継となり、親子3人で営んでいた小さなお店も気づけば今では30名近いスタッフに。創業者の親族をはじめ、近所の主婦や移住者の方など年齢も出身地もバラバラですが働くみんなに共通しているのは「ブエノチキンが大好き!」人数が増えても手作りの製法は変わらず、毎日賑やかに300羽以上のチキンを仕込み、焼き上げしトリます。
こんなところで作っています
沖縄県内でも一番の大都市・那覇市のすぐ隣の浦添市内間という地域で40年以上営業しトリます。レストランを併設した製造所では朝から夕方まで6台のロースターがフル稼働。10分ごとに次々と焼き上がるチキンをスタッフが調理用ハサミでどんどん切り分けていきます。その速さに訪れるお客様はびっくり!ハサミは骨まで切れる特製のもので、スパッと切ることで旨みが逃げないようにしているんですよ。
わたしたちが歩んできた道
1982年、店長コウエイと番長サチコ2人で始めた「ブエノチキン浦添」。10年ほど売れない時期が続きましたが、美味しさとヘルシーさから地域の方に根付いていきました。創業から約30年後、一人娘が後継となり「ブエコ」と名乗り経営を引き継ぎ。店名を「沖縄丸鶏肉製造所ブエノチキン」と改め、父母の仕事の負担を減らすつもりが面白いことがしたいと突っ走りすぎてしまい、今でも70代の父母は現場で働いトリます(笑)
わたしたちの想い
丸焼きチキンは骨もあるし、食べづらい。それでも年間約9万羽ものブエノが飛んでいきます。たくさんの方が誕生日や記念日にと嬉しそうに買いにきてくださり、イートインではおじいちゃんおばあちゃんとお孫さんが一緒になって丸ごとかじりついています。ブエノチキンは丸ごと焼くから、捨てる部位がありません。さまざまな食が簡単になっていく世の中で、お肉を丸ごと楽しみながらいただく体験を長く提供していきたいと思います。
ふるさと納税でこんなすてきな変化が生まれています
私たちの製造所では販売とレストランも併設していますが、「ふるさと納税で頼んでいるよ」と声をかけてくださるお客様がいらっしゃいます。1度おトリ寄せして食べたものをわざわざ現地まで食べに来てくださるなんて、本当に嬉しいことです!
ぎっしり詰まったニンニクと滴る肉汁にゴクリ
溢れ出る肉汁と香ばしい香り、焼きたてのジューシーな鶏肉に、おなかからゴロゴロと溢れ出る粗みじん切りニンニクの山。沖縄では定番グルメといえるチキンの丸焼きですが、中でも県内外にファンが多いのが浦添市に店舗をかまえる「ブエノチキン浦添」。
「鶏の丸焼きといえばブエノチキン!」という人も多く、沖縄県民が熱愛するグルメとして全国ネットのテレビ番組にも登場したり、著名人が番組で熱弁したりYouTubeでお取り寄せ商品を食べる姿を配信したりなど、さまざまな人から熱愛されています。
35年以上丸焼き一筋!1982年創業の老舗店
1982年に創業した「ブエノチキン浦添」は、鶏の丸焼き一筋で35年以上経営してきました。当初は夫婦ふたりで唐揚げ店からはじめたそうですが、鶏の卸業者から鶏の丸焼きの存在を知り、妻のサチコさんが「これは売れる」と直感したのだそう。すぐに唐揚げから鶏の丸焼き店に方向転換し、「美味しくてヘルシーだからみんなに食べてほしい」と団地に一軒一軒売り歩くところからスタートしました。
現在2代目を務める浅野朝子(通称:ブエコ)さんは、社長就任までの間、まったくの異業種である広告業界で勤めていたと話します。「大好きな広告業界で、コピーライターとして8年間勤めました。父の体調不良をきっかけに会社を退職して跡を継ぎましたが、もともとブエノチキンは大好物だったこともあり、やってみるととても楽しくて。思いついたら片っ端から挑戦したいタイプなので、自由にできる環境が私にあっていたのだと思います」。
「親孝行のために就任したけれど、結局忙しくなって父をたくさん働かせてしまった」と笑顔を見せる浅野さんは、カラッとした明るさが魅力的な人。広告業界で培ったセンスをフルに活用し、ブエノチキンの名を世に知らしめました。
ニンニクとたっぷりのお酢、こだわりを詰め込んで丸焼きに
ブエノチキンは販売と製造が一体化した造り。作りたての商品をすぐにテイクアウトすることができます。丸焼き1羽につき1玉、年間4.5トンものニンニクがすべて手作業でむかれているから驚き!あらかじめカットされたニンニクを使用することもできますが、美味しいのはやっぱり手むきだからと、この手間を大切にしています。
手むきされたニンニクを食べごたえのあるサイズに粗みじん切りし、さらに秘伝のタレに2日間漬け込みます。実は秘伝のタレ、そのほとんどは意外にもお酢。お酢をたっぷり入れることで鶏肉が柔らかく焼き上がり、ヘルシーかつマイルドな味の丸焼きに仕上がるのだとか。
鶏肉を漬け込んだら、次は専用のロースターで約90分かけてロースト。電気でじっくりと熱を伝えることで余分な脂が落ち、うま味がぎゅっと詰まりながらもさっぱりとした味わいに仕上がるのだそうです。
さらに鶏肉のお腹にぎっしり詰まったニンニクが、ロースト時に溢れ出る鶏の脂とうま味を吸い込んでおいしさUP!焼きあげる間に、鶏肉から中に詰まったニンニクまで、味わいが深くしっかり染みわたります。
こうして焼きあがったチキンは、今にも肉汁が弾けそうなほどパンパンに膨らんでいます。表面についた焼き目からは香ばしい香りが漂い、匂いだけで缶ビール2本は飲めてしまいそう。
ブエノチキンの鶏肉は、沖縄で育った「やんばる若鶏」のみを使用。安全な素材を配合したこだわりの飼料で育った若鶏は、ふっくら柔らかな肉質が保たれています。
ご覧ください、このこぼれ落ちるニンニクを。これだけニンニクが入っていてもじっくり火を入れているため辛くなく、子どもから高齢の方まで食べられるのだそう。また、お酢にたっぷり漬けられているとは気づかないほど酸っぱさを感じず、むしろマイルドな味わいに仕上がっています。
お酢とニンニクをこれだけ大量に、しかもその量を感じることなくパクパク食べられるとあって、常連客の中には「風邪気味だから買いに来たよ」「友達が元気ないからブエノチキンを差し入れしようと思って」という人も多いのだとか。105歳の方がぺろりと平らげたという伝説があるほど、食べやすさには定評があります。
今回の返礼品は、ネット限定の真空パック。滴るたれも残さずヘラですくい、手早くパックに流し込みます。
真空パック商品も、店頭販売同様、店舗でつくったものをそのままパックしているため、保存料や着色料は一切なし。温め方は1羽につき20分ほど湯煎するだけと、簡単です。チキンが入る大きめのお鍋さえあれば、自宅で簡単にふっくら柔らかな鶏の丸焼きがいただけます。
ちなみに商品は基本的に丸ごとですが、ご希望の方にはカットした状態で真空パックすることも可能。カットご希望の際は、注文時にお問い合わせください。
ユニークでわかりやすい「トリセツ」も楽しい
商品には、浅野さんの広告会社時代のセンスが光る「トリセツ」が同梱されています。思わず二度見したくなるトリセツ、中を開くととてもわかりやすく丸焼きの作り方や切り方、食べ方が掲載されているため、楽しみながら簡単に調理することができますよ。
さらに創業者のお父様やお母様、浅野さんはもちろんスタッフの顔写真とコメントを並べ、親しみやすくつくられているのもほっこりポイント。チキンへの愛と、お店の方々の仲の良さが伝わり、遠く離れた場所からでもどこか親近感を抱かせます。
目指すのは「流行ではなく文化になること」
ここで働く方は毎日チキンを食べているんだろうなと思いきや、実はブエノチキンでは注文が入った量だけを焼くため、スタッフは遠慮して買わないことが多いのだとか。注文が入った分だけ焼く習慣は開業時からお父様がはじめたのだそうで、命をいただくことに感謝する気持ちとして、絶対に廃棄を出さないための配慮です。
社長になった今でも自腹で買って帰るという浅野さんは「父が家に持って帰ってきてくれなかったから、小さい頃から変わらず今でもずっと大好きなのかも」と笑います。ブエノチキンの目指すところは流行ではなく文化になること、そして急成長はしないことなのだそう。「木の年輪のように、自然に確実に大きくなりたい」という言葉に、誠実でいつまでもおいしいブエノチキンの秘訣が詰まっているように感じました。
沖縄支部(沖縄県浦添市担当) / 三好 優実(みよし ゆみ)
沖縄県那覇市在住。香川県で生まれ育ったのち、大阪や東京で仕事中心の生活を満喫していましたが、沖縄旅行で「人」の魅力にはまり、仕事をあっさり手放して移住。1年くらいで別の土地に行こうと思いきや、早6年が経過しました。ライター歴は5年。
浦添市は、アクセスや住み心地が良いベッドタウン。中でもピザハウスがある港川外人住宅は雑貨やグルメが豊富な人気エリアです。