琉球紅型は、
琉球の旧都首里に
400年余の
伝統を誇る
優雅な琉球独特の染め物です。
他の伝統工芸品同様
琉球王朝時代の王様を始め
身分の高い方々の
位を示す為にも着用されておりました。
鮮やかだけど、
品のあるその美しさは
その昔、
静かな首里の町を
女性が「びんがた」を着飾って歩くと、
紅型の鮮やかな赤や黄や藍の色彩が
自然の緑に調和して花のように乱れ咲き、
その美しさはたとえようもなかったと
語り伝えられています。
琉球紅型には
鮮やかだけど、上品な
独特の美しさ
があります。
この美しさを
紅型師である金城昌太郎は
「琉球紅型は鮮やかだけど、
時を重ねるごとに
深みが増す美しさがある」
と工房に来店される
お客様に話しております。
この着物は
琉球王朝時代に制作された紅型です。
鮮やかだけど、美しい。
不思議な魅力がありますよね?
この美しさが
紅型師である金城昌太郎が
後世に伝えたい
【 時を重ねるごとに
深みが増す美しさ 】
です。
今回のデザインを制作した
琉球紅型職人
金城昌太郎について
ご紹介いたします。
琉球紅型職人である金城昌太郎は、
問屋様、小売店様、
さらには
お客様からの注文も一切受けておりません。
その理由は
自身の美学である
【琉球王朝時代の紅型の美しさ】を
妥協せずに
追求し続けたかった。
そして、
60年間、
その想いを貫き通した
職人です。
一切、注文を受けていない理由は
注文が増えると
お客様の意向を無視できなくなり
自分の美学が、お客様の美学に
浸透されてしまうのを恐れた為
と言っております。
もちろん、注文を受けた方が
お客様の喜ぶ商品になり、
認知度も拡大していくのですが
それでも、昌太郎は
自分が決めた事を一切ブラさず
60年間、
作品を作り続けました。
そのような信念の元に
制作している柄なので
他の柄と比べた時に
上手く言葉にできないけど
何か良い...
思わず、
人の心を惹きつけてしまう
魅力がある。
と、ご購入されたお客様から
よく言われております。
1.デザイン
金城昌太郎は、
沖縄の自然をスケッチし
図案を制作する事を
とても大切にしております。
その理由は
琉球王朝時代に制作された沖縄の古典紅型にも、
初期の作品には本土の友禅模様を模倣したものがたくさんある。
そのような模倣した模様でも、
最初は誰かがデザインしないと作る事ができない。
という事は、
誰かがそれをスケッチした人がいた。
そう思った時に、
沖縄独特の創作紅型(びんがた)を作るには
沖縄の自然をスケッチしないといけないと思った。
と工房を訪れるお客様や
紅型職人である後輩達に
度々、話をしております。
2.型彫り
金城昌太郎は
琉球紅型のデザインを支えてるいるものは、
「 型彫り技術 」だと
工房を訪れる後輩達によく話しております。
その理由は
どんなに頑張ってスケッチをして
一生懸命、紅型らしい図案にしても
型彫りの技術が未熟では
作者の意図を
思うように表現する事ができない!
と話します。
さらに昌太郎は
琉球紅型の基礎を築いた先人達の想いを
少しでも感じる為に
「 ル ク ジ ュ ウ 」という
豆腐を乾燥させた道具を
型彫りの際の下敷きに使用します。
この「ルクジュウ」を使用する事で
雨が降ると湿り気で柔らかくなります。
そして、渋紙を小刀で彫ると
ザク ザク ザクと
ヤギが草を食べるような
とてもいい音がして
心地よく彫れるそうです。
この心地良い「音」を感じるには
「突き彫り」で彫る事が大切。だと
昌太郎は話します。
そして、昔から変わらない
技法と道具を用いて制作する事で
琉球王朝時代の先人達も聞いたであろう
「音」を想像しながら
昔と今をつなぎ
次の世代に人たちに
琉球紅型の魅力を伝えていきたいと
昌太郎は話します。
3.色
天然染料の顔料には
「鮮やかだけど、
時が経つと共に
深みが増す美しさがある。」
とよく言っております。
冒頭にも紹介した
琉球王朝時代の
紅型をご覧頂ければ
なんとなく
イメージをつける事ができるのではないでしょうか。
この美しさを支えているのは
豆汁を使った色づくりです。
豆汁(ごじる)には、
顔料の定着を促進する効果、
にじみ止めの効果がある。
豆汁に顔料を、
水彩絵具みたいにいろいろな色を混ぜ、
好きな色を作る。
朱の色、一つとっても
黒ずんだ朱やオレンジ色のような明るい朱がある。
自分がどんな色を表現したいかを考え、
自分の納得のいく色ができるまで工夫しながら、
何度もチャレンジしながら作っていく 。
このようなこだわりから制作されているのが
金城昌太郎の紅型です。