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伝統的でハイクオリティな本場奄美大島紬をカジュアルにコーディネイトできるポシェットバッグです。 開閉は内側にボタンが付いており、取り出しやすく便利です。 セットの草染め絹100パーセントのストールをプラスすれば、よりお洒落に決まること間違いなしです。 【商品に関するお問い合わせ先】 瀬戸内町大島紬協同組合 0997-72-3675
1300年の歴史と文化に恵まれ、古来より高級絹織物として高く評価されてきました。全世界に類をみない精巧な絣織りの至宝であり、アート性豊かな世界の一級ブランド品です。奄美大島の美しい自然から生まれた、地球にやさしい天然染めの手織りです。
奄美大島における養蚕の歴史は古く、奈良朝(西暦710年~793年)以前に遡る。奈良東大寺や正倉院の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」との記録も残されている。この褐色紬と称される織物は、当時(天智天皇の頃)本土で行われていた古代染色(梅染、桃染)の技法と同じで、奄美に自生するテーチ木や他の草木等で染色されたものであり、現在のテーチ木泥染の源流をなすものと推測される。 また紬のルーツは遠くインドに発生したイカット(絣織り)といわれており、スマトラ・ジャワからスンダ列島一帯に広がりをみせる頃に奄美大島へ、伝播したものと思われます。「紬」が奄美大島の文献に現れているのは「大島政典録」に享保5年(1720年)大島、喜界島、徳之島、沖永良部島の4島へ下した禁令文に、上記4島の「与人、横目、目指筆子、掟までの役人には紬着用を許すが下の者には紬着用一切許さず」との記録がある。 しかし具体的な記録としては、嘉永3年(1850年)から安政2年(1855年)までの見聞にもとづく名越佐源太の「南島雑話」以外に紬についての詳細な記録がないため、それ以前の紬の状況は判然としない。「南島雑話」に「織立はつやなけれども、程久しくつや出て、至ってよく稿がらも色々あり」と紬の様子が書かれている。
9世紀の頃奄美は遣唐使の通路であり、その中の継基地として中国大陸や南方地域との交流も深く、当時の大陸文化や南島文化の交流地点として発展していたことがうかがえ、また朝廷への往来も頻繁におこなわれており、その際の貢物として褐色紬が献上されたものとの説がある。 近年に至っては、明治30年頃からは「イザリ機」が「高機」に変わり生産能率の向上によって、生産が増大し、34年には大島紬同業組合が設立され製品の検査が始められた。明治37~38年の日露戦争による好景気で紬の需要は急激に増大し、価格も高騰したため紬の生産は全郡に広がり名瀬を中心に工場も建ちはじめ、大島紬は黒糖と並ぶ主要産業となった。ついで明治40年に笠利赤木名の永江伊栄温がこれまでの手括りによる絣出しから締機による画期的な締絣法を開発し、絣が繊細でしかも鮮明な泥染め大島紬の生産が可能となった。 大正10年頃からは練玉糸にかわって本絹糸が原料として使用され生産性の向上は著しい者があった。昭和に至ってからは従来の泥染大島紬に加えて泥藍大島紬、色大島紬、草木大島紬等の新商品が続々開発され今日に至っている。
大きく分けて、図案、のり張り、絣締、染色、製織など約40ほどの工程があります。等養成所では、最終工程ある製織を主に行っています。図案通りに染め上がった糸(原料)が紬業者から送られてきます。初めに経糸を織機にセットし、絣糸と地糸を図案のとおりに配列する「綾拾い」、次に綜光の一つ一つに糸を通していく「綜光通し」、筬のすき間に糸を2本ずつ通していく「筬通し」などの工程があります。
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