ワークショップ参加者レポート

絶景があるのは目的地だけじゃなぃ~
「道中」を楽しむ旅のススメ

道東の観光都市として知られる網走市。市内有数の観光地である能取岬へのアクセス路として、多くの観光客が通る道道(どうどう)76号線。観光客の大半は「岬に行くこと」を目的としているだろうが、実は、その道路からの風景も「目的地への過程」で済ませてしまってはもったいないほどのものなのである。
市街地から北に向かって走り出して、少しの間は一般的な生活道路といった感じだが、少し進むと右手には海、左手には断崖絶壁が間近に見られるようになる。両者共に大迫力で、「まさに北海道」といった雄大さである。良く晴れた日なら、非常に爽快な気分になること請け合いだ。
二ツ岩という景勝地を過ぎると、ダイナミックな地形を活かした線形で崖の上へ登っていく。道中にある橋の上から眼下に広がる海を望むと、先程までとの標高差を実感させられる。ここからは一面に緑が広がる森の中を走ることになり、走っているだけで森林浴をしているかのようである。
能取岬を過ぎ、急峻な山腹に穿(うが)たれたトンネルを抜けると、ロケーションは再び海沿いに変わる。私は何度もここを走ったことがあるが、その度に絶大な開放感と感動を覚える。トンネルの出口近くにある駐車場からは、海岸の形状が崖から浜に移り変わる地点を見渡すことができ、地球の息吹をも感じることができるような感じさえする。
その後、道は能取湖沿いを南下する。湖岸は潮干狩りに向く砂地で、風景は穏やかなものとなる。やがて湖を離れ、今度は一面に畑が広がるようになる。道民からするとよくある光景だが、全体を通して見ると、先程とのメリハリがあり単調さは感じない。
そして国道に突き当たり、この道は終わりを迎える。距離にして約25km。ゆっくり走るにしても、車なら1時間足らずで回りきることができる。気軽に色々な景色が見られる道道76号線、気が向いたら是非走ってみてはどうだろうか。


鹿ならではの癖の強さは、ゴマペーストと相性がいい。
鹿担々麺を自作したら美味かった!!

普段エゾシカの骨は全体の95%が捨てられている。これを勿体ないと思った私は、その骨で出汁をとりラーメン作りを始めた。
鹿骨から出される出汁はとてもクリーミー、旨味成分が少ない、口当たりが悪い、癖が強い。
といった悪いところばかりだが、「癖が強い」を活かした、癖になってしまうラーメン作りをしたいと何度も思ったが、あまりにもの癖の強さで料理方法が全く思いつかず、とても苦戦していた。
しかしながら、料理人や鹿の加工業者さん、様々な方に相談したところ美味しいラーメン一品が完成した。
「鹿坦々麺」だ。
鹿ならではの癖の強さは、ゴマペーストと相性がいい。さらに、スープダレには旨味成分が沢山含まれている「しじ美醤油」を入れたところ、とても美味しいラーメンが完成した。
肉味噌ももちろん鹿肉だ。
このラーメンを沢山の方の食べていただき、鹿骨の廃棄を少なくしたい。
今後このラーメンは網走で新しくオープンするお店で提供できたら嬉しいと考えている。


極上ミネラルウォーターがいつでも飲める!
雪解け水の湧水 網走の水道水は衝撃的な美味しさ

網走の水道水はとにかく美味しい。日本各地に名水はあれど、雪解け水の湧水が水道の蛇口をひねればすぐに飲める。こんな美味しい極上の水がいつでも自宅で飲めるのは、網走市民はなんとも幸せじゃないか。
昨秋、この地に移住した初日、網走の水道水が美味しいことに驚いた。網走にやってきた初日、自宅の水道の蛇口をひねって出てきた水にふれてみるとヒンヤリしていて気持ちがよかった。
その水を一口飲んでみて全身に衝撃が走った! この水はなんだろう? 口当たりのいい軟らかさ、すっと馴染むように喉を流れていく、なんともいい水、ただならぬ美味しさなのだ。
網走市によると、市水道水の水源は「藻琴山に降り積もった雪がとけて火山岩・火山岩層をくぐって地下から湧水する泉」だそうだ。
天然のミネラルウォータだ。なんとも贅沢な水源ではないか。大自然に磨かれたここの水が美味しいのもうなずける。湧水を使っているので、一年中、水温が一定である。夏も冷たい極上の水が飲めるのだ。なんという贅沢か。
網走市民に水道水のことを尋ねてみた。多くの市民はこの水道水の存在があたりまえになっているようで、この水道水がどれだけ美味しいかについても特に反応がなかった(当たり前なので、そういうものだと思う)。
だが、高齢者から「昔、藻琴山の湧水地だったか、そこの水利権だったか、網走市が買い上げたらしいよ。それでね、網走の水道水は藻琴山の湧水なんだよね」という話が聞けた。この名水を買い上げた網走市に万歳!
さらに、網走市によると「大空町東藻琴(もこと)の藻琴山の麓にある三つの水源地から、2本の導水管と呼ばれる太い管によって送られてきます。水源地から網走市内までは約30㎞の距離があり、水は約10時間かけて送られてきます」とのこと。
この雪解け水が地層で濾過され地上に湧きだすまでの時間、それから30㎞の導水管の10時間にわたる長旅に想いを馳せながら今日もこの極上の水を味わおう。大自然が生んだ湧水が自宅で飲める幸せに感謝しつつ。

網走市上水道ウェブサイト:https://www.city.abashiri.hokkaido.jp/280josuido/

流氷下の神秘な浪漫、海底熟成のお酒を愉しめる隠れ家

網走の酒場巡りが好きな私は、酒場巡りの都度必ず立ち寄る隠れ家BARがある。
何故か。お酒に詳しい・カクテルが美味しいということは勿論ですが、そこには口数は少ないが安心して愉しめる空間・時間を作り出すオーナーバーテンダーがおり、そして網走の海底で熟成されたお酒が置いてあるからです。その隠れ家BARのオーナーバーテンダー中山孝之さんが経営する『BAR JackRose』を、私が訪れた時の模様をお伝えします。中山さんは、ウイスキーやワイン等のお酒を海に沈め海底熟成させるために、市役所や網走市漁業協同組合等から苦労して許可を取り、知り合いの漁師等の協力を得ながら中山さん自身も船に乗り、2020年7月から2021年6月下旬まで1年間オホーツク海に沈めていました。そのお酒をついに引き上げたとの連絡を頂き、海底熟成されたお酒を味わうため、一見開けるのを躊躇うような、まさに隠れ家の扉を私は静かに開けました。


いつものカウンター席に座り、早速中山さんに話を聞くと、「流氷」で覆われた期間を経て一年、「オホーツク海の海底ならではのゆらぎ」、つまりは「日本いや世界でも珍しい、流氷の下ならではのゆらぎ」で熟成されたお酒を味わうと同時に、通常の同じ種類のお酒と飲み比べができる「海底熟成飲み比べセット」を用意しているというのだ。私はウイスキー好きなので、ニッカウヰスキー余市の海底熟成飲み比べセットを早速注文。フジツボに覆われた酒瓶を中山さんは丁寧に開け、無駄のない仕草でグラスにウイスキーが注がれる、そしてもう一方のグラスには普通の余市を。

いよいよだ、海底熟成の方からグラスに鼻を近づけ、香りを楽しみながら口に含む、美味い!甘い香りと熟成が進み角が取れてまろやかに、続いて普通の方を飲んでみる、こちらも美味いが明らかに違いを感じます。体験したジャパニーズウイスキーやスコッチウイスキーの中でも、美味しくなるお酒がある一方、あまり変化が無いものもあります。一緒に海底に沈めたワインや日本酒もそれは同じと思われますが、それは開けてみるまで分からない宝箱のようで、わたしは「子供の頃に体験した親からの誕生日プレゼントを開ける時と同等の、忘れかけていたドキドキ感」を感じると共に、流氷の下で熟成したという事に何とも言えない浪漫を感じます。


私がこちらをレポートさせて頂いたのは、ただ一点この大きな感動と浪漫を皆さんと分かち合いたいからです。中山さんは、以前からお酒で地元を盛り上げたい気持ちが強く、ポテンシャルが高い網走の酒場を「ハシゴ」して貰うために、2軒目・3軒目になりうるBARならではの何かを模索していたそうです。その何かから導き出された、「オホーツク海の海底・流氷の下」で熟成されたお酒を「もっと皆さんに知って欲しい、そしてこの新しい愉しみ方で、お客様の笑顔を沢山見たい」とおっしゃっておりました。あなたも網走の美味しい食とともに、網走の浪漫・お酒の浪漫を感動と共に体験してみませんか。

網走市南5条西2丁目7
BAR JackRose
オーナー 中山孝之
□ご注意:海底熟成のお酒は、量に限りがあります。現在は豊富にありますが、ご提供出来ない場合がありますので、ご了承願います。

まるでおもちゃ箱のようなカフェ!夜cafe .husの魅力とは

網走の繁華街、四条通りから一本離れた雑居ビルにある「夜cafe .hus」は、市内でお酒が飲める他のお店とは一線を画した佇まいをしています。港町にあるとは思えないポップなお店の魅力をインタビューしてみました。
私がこのお店をインタビューに選んだ理由はこのポップな内装!ライトアップや懐かしいキャラクターたちにテンション爆上がりです。私の好きなものばかりがお店に並んでいて、最高!


そんなユニークなカフェを経営しているのは店主の高串 弾さん(32)。網走から車で30分の距離にある美幌町出身です。「子供の頃から自分の店を持つことが夢だった」
元自衛官で、自分のお店を持つことを夢に退職して、札幌の調理学校で料理を学んだそう。22歳のときに隣の北見市で調理師として、has cafeに就職しました。仕事の傍ら、ダンス講師もしていたという多彩な方です。夜cafe .husはその2号店として、2012年10月23日にOPEN。OPENした翌年にそのまま店主を任されたのだとか。そして、2018年1月に店舗をそのまま引き継いで独立。お店は今年で9年目、独立してからは4年経ち、現在に至っています。
23歳でいきなりの店長抜擢に、「やる気はあっても、網走に知り合いが少なかったことや経験・技術不足で不安が大きかった。自信を持ってお店をやれてはいなかった」とのこと。
お店のために、まずはチラシ配りやFacebookでの宣伝からスタート!その後徐々に口コミで話題になっていき、今ではバースデーパーティやプロポーズ、なんと結婚式までしてくれる人もいるほど客がつくように!お店をやって、「お客さんの人生の中の一場面に関われることが嬉しかった」と語る弾さん。

そんな弾さんが大切にしていることはお店の空間作り。「BGM、内装、インテリア、人柄、美味しい料理。それらが織り交ぜられて作られる雰囲気を楽しんでほしい」とのこと。
置かれているインテリアやアイテムはお客さんの話題の種となって、会話を膨らませやすいよう意識している。
自分のお店を持つとは、店主曰く、「自分の世界観を表に出せる」と私も、お店を選ぶ決め手って、店がもつ雰囲気が好きかどうかだと思う!
オススメメニューはさけとばペペロンチーノ弾さんは、このメニューを作ったとき、「ネットで検索しても同じメニューは出てこなかった!」と。
さけとばを使ったペペロンチーノは、このお店でしか食べられません!新メニューの温玉と炙りチーズをのせた珈琲カレーもオススメ。
そんな弾さんがこれから目指しているものは、さらなる空間作り、そしてSNSを通してのお店の成長とのことです!「夜cafe .hus」は、店主の趣味と想いが詰まった、おもちゃ箱の中にいるようなポップで親しみやすいカフェでした。みなさんも弾さんが作るお店の雰囲気と料理を味わいに足を運んでみてくださいっ!


夜cafe .hus
住所:〒093-0015 北海道網走市南5条西1丁目 高間ビル3F
営業時間:18:00~25:00 日曜休業
TEL: 080-1975-6279

Facebook:
https://www.facebook.com/yorucafe.hus/
Instagram:
https://www.instagram.com/yorucafe.hus/

天然のレッドカーペット!?網走市の「サンゴ草」群落地

サンゴ草とは別名「アッケシソウ」と言い、形がサンゴに似ていることや、真っ赤に紅葉することなどからそう呼ばれています。
そんなサンゴ草の日本最大級の群生地がここ網走市にあります。秋になると真っ赤に紅葉したサンゴ草が一面に広がり、秋空の青と美しいコントラストを魅せてくれます。
中央には遊歩道が設置されており、サンゴ草の中を歩くことができます。一面に広がるサンゴ草を眺めてもよし、ふとしゃがんで独特な形のサンゴ草を観察してもよし、豊かな自然を楽しむことができます。
サンゴ草の見頃は8月下旬から9月下旬頃まで。北海道の少し早い秋を楽しんでみてはいかがでしょうか?

もうすぐ開業110周年。網走駅 そこに残された旧国鉄の遺構

来年開業110周年を迎える網走駅は石北本線と釧網(せんもう)本線の2つの幹線が交わる2面3線の終着駅である。かつては湧別町にある湧別駅と網走駅を結ぶ湧網(ゆうもう)線が走っていた。網走駅にはこの湧網線専用ホームの遺構が残されている。
網走駅は1912年10月5日に開業した駅で一度移転し現在は2代目。当初は網走本線の終着駅として開業し現在は石北本線、釧網本線の終着駅として機能する。札幌からの特急が到着するオホーツク観光の玄関口だ。この網走駅には湧網線が国鉄時代の1987年3月20日まで走っており。沿線にオホーツク海を望みながら走る日本有数のローカル線であった。しかし、1980年に制定された国鉄赤字再建法により廃止されてしまった。この湧網線の廃線跡は網走から北見市の常呂駅まではオホーツクサイクリングロードに転用されているが、やはり湧網線を感じるには一日かけてゆっくり巡りたいものである。そこでおすすめなのが網走駅1番ホームの北見方、駅舎を過ぎてすぐのところにある謎の空き地。駐車場が張り出しているが。途中から意味深に柵がなくなっていることが分かると思う。そう、ここが湧別へと向かっていた湧網線の跡、0番ホームである。かつては湧網線などを使用して稚内を目指すオホーツク縦貫線を作ろうとしていた当時の人々の夢の跡でもある。この場所だけ駅名標などの設備が更新されずに現存しており。線路こそはがされているが、この場所だけ時代が止まっているように感じる。この場所に当時の思いを馳せて立ってみるのもなかなか乙なものである。
これから旅に出る人、故郷に帰ってきた人、それを出迎える人々・・・そんなことを感じながら。
網走駅はそれだけではなく、やってくる車両が特急オホーツクをはじめとした国鉄時代の車両で占められており、もちろん自動改札機はない。これだけでも限りなく昭和であり、平成生まれの私にとって、鉄道ファンの一面を持つものとしても心に突き刺さるものである。
最近は昭和レトロがブームになっているが、網走駅はまさに作られた昭和ではなく残っている昭和であると感じる。最近は網走駅のような駅の姿がどんどん改修されて姿が消えていく中変わらずに残っている姿に感動した。


栄養たっぷり「山わさびのダシを飲む」という網走発の新しい健康法

「山わさびをスライスして乾燥させたものを、煮干しみたいに汁もののダシにする。加熱をすると辛味も無くなり、亜鉛が摂れる」。北海道網走市が日本一の生産量を誇る山わさびの新しい食べ方と知られざる栄養価について“山わさびマイスター”こと私、北村宇未がご紹介します。

「山わさび? 食べたことないし、知らない」

はたして本当にそのとおりだろうか。実はスーパーなどで売られているチューブに入ったお刺身用練りわさびの原材料にも山わさびは使われている。ローストビーフを食べる人なら、その薬味のホースラディッシュといえば、その白い見た目も想像に易いかもしれない。山わさびにはたくさんの別名があり、知らないうちに口にしていたりする。山わさびは案外、身近な食材かもしれない。

「山わさびのどこが好き?」

先日そう訊ねられて大変困った。どこが好きだとか、どうして好きかだなんて、考えたことも無かった。頭をひねってみた結果、山わさびに対する私の想いは、富士山の裾野に生まれ育った人が富士山を愛する気持ちとか、イタリア人がパスタを愛するかんじとか、もしくは親が我が子を大事に思う感覚に似ていると思った。理由はもちろん挙げられるが、理由もなく好きなのだ。
昭和60年代、私がランドセルを背負って団地に暮らしていた頃、山わさびはそこら辺に生えていた。空き地とか、草むらとかに。だから私は学校帰りにいつも山わさびを掘っていた。木の枝や傘など、先のとがっているものはすべて私にとっては山わさび掘りの道具だった。地中深くゴボウのように育つ山わさびを、化石を発掘するかのように掘り進める。いかに長いままで、傷をつけずに掘りだせるか。木の枝は、土の硬さでわりとすぐに折れてしまった。そこで使えたのが頑丈な金属の骨を持つ傘だったが、それでも日々掘っているものだから傘も何本も曲げてしまった。親からは「傘は山わさびを掘るものじゃないよ!」と何度もこっぴどく怒られたが、私がそこで考えたのは、「よし、シャベルを持ち歩こう」。
山わさび掘りをやめるだなんて一瞬も思わなかった。ランドセルの横の笛をぶらさげるようなところに小さなシャベルをさして登校しはじめた。さらに御縁を感じるのは、中学生になる頃、親が「家を建てる」と言い出して、連れていかれた土地がなんと私がいつも山わさびを掘っている空き地で本当にそこに新しい自宅が建ってしまった。さらに大人になった昨今、山わさびを身近に見られることは滅多になくなっているにも関わらず、子供ができたことを機に、気になると見に行った戸建て物件の敷地に山わさびが生えていた。私はそのことも決め手で「庭付き“山わさび付き”一軒家」を手に入れて、今なお山わさびと共に暮らしている。

「山わさびの価値は、辛さにしかないのか?」

そんな私の畑で山わさびが穫れ過ぎた。さて、どうする。山わさびを捨てることなど私にはできない。
山わさびはワサビとその名に付くように、辛い。その山わさびの一番で唯一とも思われているかもしれない食べ方は、生の山わさびをすりおろして熱々の白飯にのせて醤油をたらして食べる“山わさびかけごはん”。ところが、その食べ方では、そんなに量を消費できない。そもそも辛い物が好きな人しか食べられない。驚かれるかもしれないけれども、なんと山わさびマイスターを名乗る私は辛い物がそんなに得意ではない。

「煮てみよう」

そこで私は考えた。スライスして、煮てみたら?煮魚の臭みとりに入れるショウガの薄切りのように。ダシにいれる、煮干しみたいに。
食品標準成分表(七訂)によると、山わさび(ホースラディッシュで掲載されている)に含まれる亜鉛の含有量は2.3gで野菜のなかではトップクラス。亜鉛といえば、滋養強壮ドリンクやサプリメントでおなじみの、DNAやタンパク質の合成、生殖機能を正常に維持するなどに必要な「命を育てる」重要な成分。ほかにもカルシウム、ビタミンCのほか、ビオチンという美肌や育毛に効く成分も含む。ざっくりいうと細胞の生まれ変わりに大事な成分。また亜鉛はインスリンの合成にも関与しているので、不足すると糖尿病のリスクが高まるそう。

「そうだ、乾燥させてみよう」

きっかけが山わさびの穫れ過ぎだったから、量を消費する術を考える必要があった。山わさびはよく洗ってから水気をとってポリ袋に入れて、真空パックのようになるべく空気を抜いた状態で冷蔵庫に入れておけば3か月も保存がきく。しかし、それでも3カ月。もっと長く、いわゆる夏や冬といった収穫シーズン以外でも料理に用いる方法はないものか。そこで私は考えた。ハーブと同じ感覚で、スライスした山わさびをカラカラに乾燥させてみてはどうだろう?

「栄養満点! 『乾燥スライス山わさび』の誕生」

オホーツクの青空の下、天日干しをしてみた。大空と風と光の力でカラカラになったスライス山わさびは保存がきくようになり、季節を問わずに日々の料理に使えるようになった。乾燥させることで栄養も凝縮されたのではないかという。
山わさびは大根の仲間で加熱するとまるきり大根みたいな味になる。煮汁には味がほとんど出ないので、どんな味の料理にも使える。煮干しみたいにお湯に入れてダシをとれば、溶け出た栄養成分をぞんぶんに摂れる。
100㏄あたり1枚。2人分のお味噌汁分のお湯に2~3枚。

「網走発『スライス乾燥山わさび』」

カラカラに乾燥した山わさびをポンっとお湯に入れる。汁を飲むだけで栄養が摂れる。もちろん、ダシをとりおえたあとの山わさびも食べられる。一度乾燥した山わさびは若干たくあんのような食感になって楽しい。実は辛さだけではない、山わさびの豊富な栄養を一年通して摂っていただきたい。
網走発の新しい食べ方で健康な人が増えると良いなと、声を大にして全国のみなさまにお知らせしたい!

流氷が育む生き物たちの活動を間近に見られる
美しく、美味しそうな絶景 網走の海!

海と聞いて真っ先に思い付くのは、沖縄とか湘南!?
いやいや、ここ北海道網走市の海も負けちゃいないよ!なんと言っても、”美味しそう”なんだから!!
オホーツク海は、冬になると流氷がやってきて、海が一面、白い大地となり、閉ざされます。
過去長きにわたって、流氷は冬の漁を妨げる厄介者として扱われていましたが、流氷が屋根になってプランクトンが育まれやすい環境が整い、それがオホーツク海に恵みをもたらしているということがわかりました。

〜流氷明けの海〜
流氷明けの春の海を網走ではこう呼んでいます。流氷が育んでくれたたくさんのプランクトンを食べて大きく育った毛蟹やウニ、魚たちが水揚げされます。そんな冷たい海のイメージですが、海の中ではたくさんの生き物たちが生活しています。
そんな生き物たちの水中での活動を間近で見ることができるのも網走の良いところ。遠浅な海岸が多く、光が差し込む海中は、沖縄の透き通った海にも負けないくらいの絶景です。ウニ、エビ、カニ、ナマコ、サケ、、、どれを見ても、「美味しそう」
南国のキラキラとした魚たちとはまた違った楽しみができるオホーツク海。
網走市では、漁業者や大学などと連携し、水産資源の調査や、放流、増養殖など、大切な資源を後世に残そうと取り組まれています。
いつまでも、この自然を守って行きたいですね。


海産物、食肉、野菜、そして腕利きの料理人。世界に誇る食の宝庫“網走”で、国内二隻しかない船でとれるイバラガニを体験

網走市は、海産物、食肉、野菜など新鮮で国内でも好評価を受けている素材が常に出回り、それを熟知した腕利きの料理人がたくさんいます!スーパーでも新鮮な食材が手に入り、手軽に買うことも出来る。
なかなか都市部には出来ない地の利を生かした食文化があるのです。
そして、国内でたった2隻しかない「イバラガニ漁」の船が網走にあるのも誇り!
イバラガニは、タラバガニの同類の蟹にあたり、繊維質で口の中でほどける身質は別格!噛めば噛むほど濃厚な甘味と旨味が至福の体験をさせてくれ、まさに網走が誇る食の代表格なのです。

市民との距離が近く「網走応援隊」のようなラジオ局FMあばしり

私がFMあばしりを知ったのは親戚がラジオ局の関係者だったからです。以前までラジオは、災害時に聞くほどしか利用してきていませんでした。そして、私のような世代の人たちはスマートフォンやテレビをよく利用していますが、ラジオを利用している人はあまり耳にしていませんでした。ですが、FMあばしりは、私の中の「ラジオ」というものの認識を一転し、覆してくれたように思います。
防災情報だけでなく、新型コロナウイルスの情報について、水谷市長が直々にラジオに出演しています。そして、網走の学生応援コーナーなどの、市民が主人公のような放送。ラジオの放送風景を見ながらインスタ映えの食事ができる、また落ち着いた空間でリフレッシュできる「L I Aカフェ」。私はこの空間がとても好きです!(^^)
単なる情報発信ツールの概念を覆し、市民との距離が近いラジオ局に私はとても惹かれました。地元の“ラジオ”の情報は、伝達が早く正しい。信憑性もあると思います。
今では、同世代の人でもカフェを利用し、ラジオを聞く人が増えているように感じています。カフェの利用からでも、口コミでも、もっともっと網走らしさを伝えることができるFMあばしりが広がり、利用されてほしいです。
私自身も網走に就職し、ラジオを利用しながら地元に居続け、網走の発展に貢献し、見守っていきたいと思います。

本場・四国からの観光客も絶賛する、うまさ!
網走発、新感覚の讃岐風うどん

観光名所の天都山の麓に開店した「UDON NEXT」は、網走初のうどん専門店。
モチモチ食感の麺、薄口醤油で味付けされた関西風味の出汁のうどんは、地元の人々だけではなく、観光客も魅了している。
実は北海道のそばの収穫量は日本一。そのためか網走にもそば屋は数多くあるが、うどんだけを提供する店はなかった。
店主の松田淳(まつだ・あつし)さんが「ウチのうどんは、あくまでも讃岐風です」と表現するうどん。そのツルツルとした麺は、喉越しが良くって、モチモチの食感だ。毎朝、製麺する麺の小麦粉には、北海道産の「きたほなみ」と三重県産の「あやひかり」をブレンドしている。程よい弾力のある麺は、コシのある讃岐うどんと柔らかな伊勢うどんの良いとこどりといった感じの味わいがある。
お店の一番人気のメニューは地元の野菜がたっぷりの「野菜天うどん」だが、網走郊外にある豆腐屋さんで、丹念に手作りされている大きな油揚げがのった「きつねうどん」も美味。松田さんのパートナーのあゆ実さんが考案したメニューの「たらこカルボナーラうどん」も、卵黄を混ぜ込むクリームソースとモチモチの麺との相性抜群で、新感覚のうまさを感じさせる。
「博物館網走監獄」の近くという場所柄、観光客の来店も多い「UDON NEXT」だが、うどんの本場の四国から来た人が「うまかった!こんなうどんは四国にもない」と驚きの声をもらしたこともあるそうだ。このお店のうどん、網走の新たな名物になりそうな予感がする。


3・3・3本通り沿いの『つくしヶ丘商店街』と、唯一姿を変えずに残るまちの床屋さん『小西理容院』

…はい、小西理容院は私の実家です。笑笑 今ではすっかり大手企業の看板に溢れる3・3・3本通りですが、昭和時代は個人経営の店舗がたくさんありました。そんな通りの端、つくしヶ丘には数々の店舗が軒を並べ、私はこのつくしヶ丘商店街の中で育ちました。
観光ガイドの常連「そば処 しば乃家」の前身「つくし食堂」、「セイコーマートおおはし」に姿を変えた酒屋「大橋商店」、有床病院から診療所になった「つくしヶ丘医院」、その他、今はなくなってしまった勉強を支える学校用品を揃えていた文具店「北村商店」、おいしい香りが街を包んでくれたパン屋「ピーターパン」、地域の健康を支えてくれた薬屋「志賀薬局」、靴職人とオシャレな鞄で身だしなみを支える「アカイケ」、新鮮なお寿司と宴会といえば「福寿司」「寿司のおがた」、誕生日やお土産のケーキならこの洋菓子店「幸栄堂」、大きな優しい犬が子どもたちを見守る「内田自転車店」、近隣に同業店舗があっても固定客が絶えない「理容ほしば」、お年玉を貯金をするのが楽しみだった「つくしヶ丘簡易郵便局」振り返ると、100m圏内にこんなに沢山の店舗があったことに改めて驚きつつ、その中で唯一名前も業態も変えず、現役で営業を続けているのが何を隠そう私の生家「小西理容院」であります。
起業から今年で46年、この半世紀近い年月で培ってきたお客様との繋がりと、父の多趣味、母の明るさが、床屋さんの域を超えた「地域コミュニティ」を構築し、「防犯連絡所」と書かれた玄関照明の灯が子どもやお年寄りを見守っています。本業の話をしますと、他の市町村ではおそらく珍しい「日曜定休日」、これは網走の理容組合で統一された定休日ですが、家族としてはこれがとても嬉しかったです。今は、年齢相応の働き方とするため「日・月曜定休日」となりました。
父は緻密なカットとパンチパーマを得意とし、母は幼児のカットと顔剃りを得意としています。また、会話から要望を察し、お客様にマッサージを施すこともあります。父のマッサージは、残業続きでバキバキになった私の肩こりも1発で治してくれます。客層は、第1次産業に勤める方が多いので、悪天候の日に混むことが多いです。また、両親・お客様ともに年齢が上がり、高齢で足が向かなくなってくる方もいれば、お子様・お孫様の代まで来店してくださる方もおります。「来店してくださるお客様がいる限り、老眼となろうが手が震えようが、生涯現役を貫き経営を続ける(まあ、定年がないしね)」という父です。
店舗の佇まいは新しくもオシャレでもありませんが、46年の技術と人情を売りにして、両親は今日も穏やかに鋏を握っています。私はこの店舗をリニューアルしたいという思いから建築の道に進みましたが、つくしヶ丘商店街の名残をこのまま残しておくほうがいいかな?と思う今日この頃です。


雰囲気はまるで大人の文化祭!
雪像は見るより「作る」が楽しい!

横浜から北海道へ移住した1年目。-15℃を記録した冬のある日「極寒の網走」で夢中になれるものに出会いました。それは、2月中旬に開催される真冬の網走の一大イベント「あばしりオホーツク流氷まつり」を彩るため、多くの市民グループが連日作業し制作する「市民雪像」です!
網走の市民雪像は、札幌の雪まつりで自衛隊が制作する大雪像(高さ15m級)と比べると、小ぶり(高さ3~4m級)ですが「質と想い」は、札幌に勝るとも劣らない雪像たちです。
雪像づくりに参加するきっかけは、時の上司が雪像制作歴30年以上のキャリアを持つ方で、「一緒に雪像作るか? 楽しいぞ!」という言葉を受け上司たちのグループへ、限りなく仕事に近いプライベートとして参加しました。
完成まで延べ15日間の体験を通じて、雪国ならではの楽しい冬の過ごし方を知り、みんなで目標に向かって活動することの楽しさを再確認しました。それでは、雪像づくりの体験記です。

「まずは防寒着」
雪像づくりに参加するにあたり、防寒対策は必須です!上司や先輩のアドバイスを受けて準備したものたちは…
服装 → 上下スキーウエアとインナーにヒートテック!これ基本です。靴 → 防寒長靴!上司から勧められた約1万円の品。まったく寒くない!
帽子 → ニット帽が基本。耳をカバーすることが重要!手袋 → -60℃まで対応のスーパーゴム手袋!これがないと戦えない!3,500円

さて、そんな装備を携えての「活動初日」。
会場である網走港のふ頭へ向かうと100名を優に超える市民が集っていました。そこでは、各グループが単管などの足場器材やコンパネを組み立てていたり、その横をブルドーザーが忙しなく行き交っていたりする状況でした。
そして、私が参加するグループ場所へ向かうと、普段忙しく仕事をしている職場の先輩など10名以上の方が、雪像づくりのリーダーを務める上司(現場ではリーダーのことを棟梁と呼びます。)からの指示を受け、2.7m×横5.6m×高さ3.6mというサイズの枠組み作りに取り掛かっていました。そして、そこへブルドーザーで豪快に雪を詰め込み雪像の基礎となる巨大な雪のブロックを作り初日は作業終了。どうやって作るのか予想もできなかった私は、大きさや豪快さにビックリするとともに、素敵な雪像を完成させるという目標に向かって、大人数が作業するという一体感に学生時代の文化祭の雰囲気を感じました!
それ以降の活動は…まずは「粗削り」 。棟梁の指示に従い、足場やコンパネの解体をしながら、先輩方が剣先スコップなどを使用しながら3日間くらいで雪のブロックから大体のフォルム出しを行います。
初心者の私は、主に削りカスの雪を集め捨てなどの後方支援担当。なお作業へは、参加できるときに参加する。というスタイルで、多い日は10名以上。少ない日は5名程度とバラバラです。しかし毎回作業終了後に作業風景と集合写真を撮って、全員へ送り状況を共有するので、休んでも次回作業へスムーズに合流できます。


次に「削って、盛って」
メインの作業期間へ突入。会場にはブルドーザーの他に、寒冷地仕様の給水車が常駐するようになります。
そして、道具を剣先スコップから特性のノミへ持ち替え、センチ単位で丁寧に削るとともに、サラサラな雪と水を混ぜた通称「モルタル」を盛っていくことで形を整えていきます。このモルタルは万能で、あっ、削りすぎた…。という場合もモルタルを張り付けるとすぐに元通り。さすが極寒の世界です。
こんなことを約7日間程度、繰り返し大体の目途を付けます。私もノミを持って削ったり、モルタルでパーツを作ったりと、より主体的に活動へ参加できるようになりました。ちなみに…
屋外での作業なため、とても天気予報を気にします(笑)最高な日は、-6℃程度で無風。とても作業が捗ります。
行きたくない日は、-10℃以下の寒い日。風の強い日。ガタガタ震えながらの作業になります。辛い。一番困る日は、プラス気温の日。雪像が解けます。モルタル作業できません。

そして「仕上げ作業」
雪像づくりのピーク到来。作業終了日までの3日間は、連日22時過ぎまで黙々と作業です。10日間以上携わってきて、メンバーも雪像に対し愛着が沸いており、より良いものを!の精神がメラメラ。左官作業で使うヤスリを雪像づくりに応用して、肌をきれいにしたり、綺麗に水平を出したり、左右のバランスの調整だったり、皆がこだわりをもって作業します。腕の角度に納得がいかず、完成しないかも!と焦った棟梁は仕事を休んで、作業に行きました(笑)初心者だった私も一丁前に、綺麗な直線を出したい!などの気持ちをもって作業を行っていました。


「完成」
極寒下15日間、延べ100名近く携わった雪像づくりも制作期限最終日を迎えました。
吹雪模様の中「そこを5㎜削って!」、「ほんの少し凸凹しているからモルタル盛って整えて!」などミリ単位での微調整を繰り返していたら、あっという間にタイムアップの22時。
しかし、そこには一般市民が作ったとは思えないほど、立派な「ガンダム」が完成していました。そして、連日屋外でクレイジー作業を繰り返してきたメンバーの顔には、圧倒的達成感とやっと終わったという安堵感からか、自然と笑顔があふれていました。そのときの私の気持ちは、「この雪像に関われ、うれしい!楽しかった!」という充実感でいっぱいでした。

「網走オホーツク流氷まつり開幕!」
祭り開幕に際し市民雪像の審査会が行われ、我らのガンダムが「最優秀賞」に輝きました!会場には、市民団体が作った約30基の雪像を中心とした大小さまざまな氷雪像が立ち並ぶ中、最優秀賞の立て札が刺さっているのを見てとても誇らしい気持ちになるとともに、多くの観光客が写真を撮っている姿に頑張ってよかった!という満足感に溢れました。

「打ち上げ!」
後日、メンバーが再集合しジョッキが割れるのでは!?というくらいの勢いでの乾杯!過酷な作業をともに戦い抜いてきた「仲間」との酌み交わしたビールは格別で、学生時代の文化祭以上に最高に楽しい時間でした!
このような時間を過ごせたことで、本当意味で網走市民になれたような気持ちになりました。
このような体験を通じて…
観客としてお祭りに参加するのではなく、作り手としてお祭りに参加できる!というのは網走の魅力!
いつもは忙しい忙しいと言っている大人たちが、なんだかんだ言いながら集まり作業しているのは、すごい!雪像づくりは、多くの人が携われるし、なんどでもやり直せるから、初心者でも参加しやすいし、何日も顔を合わせるから仲良くなる!仲間づくりにピッタリな活動!
しかし、雪像づくりに参加しているのは、企業単位だったり、昔からのベテラン団体だったりと割と特定の人たちだけ?せっかく雪像づくりに参加できる環境に住んでいるのだから、もっと多くの網走市民が雪像づくりの楽しさに触れられると、より一層自分たちのまちの魅力を再確認することができたり、流氷まつりが盛り上がったり、市民同士の絆が深まったりすると、さらに素敵な網走になるのでは?と感じました。何はともあれ、雪像づくり。やってみると運動になるし、友達出来るし、楽しいですよ!サイズを小さくすれば3~4日で完成させることも可能です。
網走の冬。どうせ過ごすなら楽しく過ごしてみませんか?

買えるのは年に1日。本当は教えたくない
超お買い得で激レアな「じゃが芋

それは「網走刑務所農場特産の男爵イモ」です。
10㎏で500円と破格の値段。さらに段ボールには網走刑務所正門がしっかりプリント。そんな網走らしさ満点の「じゃが芋」は贈り物にぴったり。
毎年10月中旬、網走刑務所では刑務作業の重要性や現状などを市民などに広く知ってもらうことを目的に「矯正展(きょうせいてん)」が開催されます。普段市民にとって縁遠い刑務所ですが、この日は地元企業・団体などによる飲食コーナーやコンサート、演舞などが催され、さらに「塀の中」の特別見学会や刑務作業品の販売会が実施され多くの市民が詰めかけます。
そんな中1番の目玉は、東京ドーム約360個分という日本一広大な刑務所の農場で生育された野菜の販売です。男爵イモ10㎏500円、メークイン5㎏300円、人参2.5㎏100円などなど。とにかく激安!さらに、レジの隣に特設宅配コーナーが設けられており、すぐさま全国各地に配送してもらえます。我が家では毎年、刑務所正門がプリントされた段ボールに入った男爵イモを、親戚や知人など多くの方へ送っています。受け取った方からは「美味い!」「北海道・網走らしさ全開!」「日持ちする!」「持て余しても近所の人などにも配りやすい!」などと評判も上々です。
網走からの贈り物で困ったりしていませんか? 海産物は結構お値段するし。さらに受け取る側のタイミング問題があったり…。その他にも素敵なものはたくさんありますが、網走らしさを求めると少し考えちゃったり。
「網走刑務所農場特産の男爵イモ」で問題解決です!

キャンプから仕事に行けちゃうくらい自然が近い
網走・呼人浦キャンプ場

網走街中から車で15分程、網走湖荘の近くのキャンプ場。
水回りや水栓トイレと、設備はしっかりしつつ無料で利用できます。
街に近いキャンプ場で、買い忘れがあっても安心でちょっと歩けば、日帰り温泉も利用できる網走湖荘もあって旅の中継や初心者さんやバイカーさんの方向けのキャンプ場です。
タイミングが合えば夕日が感動ものです。
僕はたまーに、呼人浦から仕事へ出勤しちゃいますね。

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