ワークショップ参加者レポート

気仙沼ローカル魅力発掘発信ワークショップ

「ここは旅行の“目的地”」気仙沼駅前にある小さな観光案内所

佐藤望さん

旅に出たことがあれば、誰もが一度はお世話になったことがあるはずの観光案内所。
しかし、気仙沼駅前にある「気仙沼駅前観光案内所」をただの案内所と侮ることなかれ。
一度お世話になるとなぜかまた訪れたくなる、その魅力に迫った。

 JR気仙沼駅前にある「気仙沼駅前観光案内所」。小さな建 物のドアを開けると、手作り感のあるパンフレットラッ クに囲まれたカウンターの先に、優しそうなスタッフの 方が1人。気仙沼観光コンベンション協会の佐藤深雪さんだ。

「気仙沼駅前には何もないでしょ、だから初めて来た人 は困ってしまうのよ」と佐藤さんは語る。そう、気仙沼駅は、観光施設や飲食店が集まる海沿いのエリアからは 2km ほど離れており、駅を降りたら港町の活気が・・・などと思って気仙沼を訪れた人が困惑してしまうのも無理はない。だからこそ、駅前にあるこの観光案内所は、観光客を駅から海沿いのエリアに送り込む重要な役割を果たしているのだ。9 月下旬からは観光客も増加傾向で、岩手県一ノ関方面からの列車が到着すると、カウンターには情報を求め る列ができることもあるという。

一方で「落ち着いているときはつい観光客と話し込んでしまうの。バスの乗り継ぎが悪かったりして(観光客の側も)ちょうど良い暇つぶしなのかも」と佐藤さん。さらに「観光客の中には、時間が足りずにそのまま列車を乗り継いで気仙沼を離れてしまう方もいらっしゃる。そうした人のためにも、ここが気仙沼を訪れるときの“目的地”でありたい。」とも。 地元の人との何気ない会話ができる。そんなアットホームさが、訪れた観光客の心を掴んでいるのかもしれない。

 案内所という、いち“目的地”を訪れた人が、スタッフとの交流という思い出を作り、それをきっかけとしてまた気仙沼を訪ねてくれることを願いながら、今日も佐藤さんは精一杯のおもてなしをしている。

飛んでるウミネコが投げたかっぱえびせんに食らいつく!
気仙沼の遊覧船に大興奮‼

斎藤和枝さん

そのスピード感はたまらない。彼らは船に寄り添いながら距離を保って並行に飛んでいる。
人間の手からかっぱえびせんが宙に舞うと、すかさず獲物を目がけて一直線に突進し、瞬時に口ばしでとらえてしまうのだ。
勇気ある人は指先で1本のえびせんを持った手を空にかかげていてほしい。
急降下してきたウミネコが目の前で餌をかっさらっていくそのスリルはたまらない!
子どもも大人もマジではしゃげるのだ。
定期航路は通常5月から11月までの間で、日によって運行船は変わり、子どもに人気のラプラス・シップは95名、ファンタジーは300名が乗船できるが、現在は定員を3分の1とし、コロナ対策を徹底している。
かっぱえびせんは船内で100円で販売。
遊覧船のコースは、たくさんの漁船が係留している港を見ながら出発し、来年開通予定の三陸道・気仙沼湾横断橋(仮称)の下をくぐり、牡蠣の養殖筏の横を通る。森が海にせり出しているリアス式海岸の絶景を楽しめ、震災後にできた防潮堤を海側から見ることができる。
「ここは気仙沼をPR出来る観光の目玉です!」と力強く語る勤続30年の小野寺さん。震災を乗り越え今がある。船の操縦とガイドを務める彼からは、仕事への情熱と誇りを感じた。
ぜひ、来てみてけらいん(^^)

「わたしは“唐桑生まれ、唐桑育ち‘’の牡蠣を作ってます」
青森県出身のあきちゃんは気仙沼市唐桑町で牡蠣養殖に奮闘中

鈴木菜々さん

日本有数の牡蠣の養殖場として知られる気仙沼市。市内の北部に位置する唐桑地区に,青森県から嫁いできて牡蠣を育てている女性がいる。
鈴木暁子(すずきあきこ)さんは青森県青森市出身。結婚を機に気仙沼市唐桑町に移住した。
嫁ぎ先の家業は養殖業。ホタテや牡蠣の養殖を行っているが,東日本大震災の影響や義父の体力を考慮して年々縮小してきた。
嫁いでから暁子さんは養殖業を手伝ってきたが,養殖業が縮小していくのが寂しいという思いから,昨年から自らが主体となっての牡蠣養殖を始めた。通常気仙沼で牡蠣の養殖をする際は,石巻や松島から牡蠣の稚貝を購入し,気仙沼湾で育てる。規模が大きなところでは安定した数量出荷する必要があるため,採れる量にムラがある気仙沼で採苗は行われない。しかし彼女は唐桑湾で良い牡蠣の地種が取れると聞き,唐桑湾で種付けからの牡蠣養殖に挑戦することにした。
気仙沼で牡蠣養殖を行っているのは主に階上地区と唐桑地区。周りで採苗を気仙沼で行っているという話は聞いたことがないということから,「唐桑生まれ唐桑育ち」の牡蠣は希少である。今年で本格的に牡蠣養殖を始めて2年目になり,周りには「あきちゃん牡蠣」の愛称で親しまれている。7月に初めて出荷をし,8月には船舶免許を取得した。よりいっそう牡蠣養殖に熱が入る。
「力仕事は大変で,失敗することもあるが,研究して育てていくのがとても楽しい。“唐桑生まれ、唐桑育ち”の牡蠣を多くの人に食べてもらいたい」と話す。気仙沼の名物の牡蠣。その生産者にも注目していきたい。

八日町の路上でニューヨーク発祥の社交ダンス

渡辺修司さん

「飲みにきた人も心躍る夜」
合同会社気仙沼八日町まちづくり主催で行われた八日町プレミアムフライデーというイベント。
この日はダンスを通して学生から50代の方までの心躍る瞬間が見られた。

ニューヨーク発祥の社交ダンス
「NEW STYLE HUSTLE(ニュー・スタイル・ハッスル)」が気仙沼で初めて行われた。

ダンスカルチャーは気仙沼で根付いているが、一般の方々に気軽に楽しんでもらえる機会はなかなか少ない。
「気仙沼は人が温かい」というが、市内の人が踊り合っている瞬間を見るとこちらまで心温かくなる。ダンスって「格好良いものを魅せる」という概念だけでなく、一人一人が主役になって楽しんでいる光景がまた良い。
観光に来るだけではわからない魅力。気仙沼の夜には手を取り合って踊っている風景がある。パーティーで楽しめるような感覚がまちの中にも広がってくれたら、コロナのストレスも吹き飛ばせるのではないか。場づくりが市内でも行われているが、ダンスの魅力と価値が広がっていってくれたらもっと楽しめる環境になっていくのではないか。

人と人の交差点・まちの喫茶室、かめこやさんに行ってみよう

足立岬さん

みんなから親しみを込めて「かめこやさん」と呼ばれる、八日町の焼き物店店主の渡邊栄さん。
奥さんの実家だった「亀屋商店」を継ぐまでは、航海士として数々の海を渡り歩いた生粋の海の男です。
そんな「かめこやさん」が営む焼き物店、「かめこや」はまちのあらゆる人が集う、憩いの場所になっています。
陸に上がるたびお店を訪れる遠洋マグロ船漁師や、まちづくりの仕事で気仙沼を訪れる建築の先生方、近所の商店主たち。「喫茶コーナー」とプレートがつけられた店の奥で、コーヒーを飲んだり、出前をとったり、昼からお酒をのんだりと思い思いに過ごすのです。
いつもお店を出る時に、「また来い〜」と言ってくれる渡邊さん。お店の入り口には、「どなたでもお気軽にお休みください」と吹き出しのついた「ホヤぼーや」のステッカーが貼ってあります。ちょっと口が悪い渡邊さんは、最初とっつきづらいけれど、すぐにあなたにとって居心地のいい大事な場所になるはず。
気仙沼を訪れた際はぜひ「かめこや」さんを訪れてみてください。おしゃべり大好きな渡邊さんと、ひょっとしたら色んな漁師さんから差し入れされたおいしいものも待っているかも!

船の町気仙沼

尾崎真央さん

気仙沼市は日本で有数の港町だ。
町は海に面しており、毎日様々な魚たちが水揚げされている。
そんな気仙沼漁港で、一際目立つのは、圧倒的な船の数だ。
漁港の端から端まで船で埋め尽くされている光景は、何度見ても圧巻だ。
船には、日本各地の名前が記されており、北海道から九州まで各地の船が集まっているそうだ。
船そのものにも特徴があり、船によってはライトなどの付属品がついていたり、船の大きさは大・中・小と変わっている。その中でも特に目立つのはさんま漁船だ。
光で魚を寄せ集めるためのライトは特徴的で、多くのソーラーパネルが付いているように見える。
ライトの色もコバルトブルーに輝いており、まぶしいと感じるほどだ。また、気仙沼市では、「出船送り」という祭りがときどき行われている。これは、漁師さんが漁に出る時に魚の大漁祈願と、乗務員さんの安全祈願を含めた、気仙沼市独自の伝統風習であり、海とともに生きる町だからこその大切な行事だとお聞きした。
「海があり、港があり、船がある」
気仙沼市民の皆さんにとっては、日常風景ではあると思うが、これは気仙沼市だからこその景色ではないかと私は考える。
全国に誇れる地元の魅力を、皆さんも探してみてはいかがでしょうか?

荒天こそ好機!気仙沼にある二つの潮吹き岩の荒々しい魅力

村上太治さん

気仙沼には、龍の松でも有名な、岩井崎という名所が階上という地区にある。
ここには、岬の先端に潮吹き岩と言われる場所があり、波が入ると高く吹き上がる。
強い波が入った時に勢いよく吹き上がるので、荒波の方がダイナミックに吹き上がる。
そしてもう一か所、あまり観光パンフレットなどには載らないが、気仙沼の大島の北に位置する唐桑半島の「巨釜(おおがま)・半造(はんぞう)」と言われる場所にも、実は潮吹き岩があるのだ。
こちらは岩井崎とは違い、霧状に吹き上がる場所だが、すり鉢状の地形から吹き上がる際には、大きな轟音とともに吹き上がり、迫力がすごい。荒天だからこそ、悩みも吹き飛ぶほどの、重低音が響き渡る。
「悩みがあった時、荒天が心境を表し、轟音が暗い気持ちを吹き飛ばしてくれる」そんな場所です。

海のそばで暮らす人の思い

植田恵子さん

海のそばに暮らす人がどれほどそこを大切に思っているか私は小田の浜に出会うまで知らなかった。
私は地元に海がある地域に暮らしたことがなかった。
だからまわりをぐるりと海に囲まれた気仙沼市の離島・大島に来て、地元の人がいかに具体的にその海を気にかけているかに、いつも驚いてしまう。
暑い夏の日、観光客でにぎわう小田の浜海水浴場。ジェットスキーでぶんぶん飛ばす人がいると、地元の人がはらはらとその姿を見守っている。聞けば、ジェットスキーが、ホタテやわかめ、ホヤを育てている養殖施設に近づきすぎていることが、心配で仕方ないのだという。特にホタテはストレスに弱いそうで、あまりそばで騒がれると変形したり死んでしまったりするのだとか。自分が育てているホタテでもないのに、ホタテのことを思い、胸を痛めている。
砂浜にゴミが捨てられていると、深く傷ついた顔をする。聞けば、震災の時に家の屋根や柱や養殖施設や船の残骸など、がれきで埋め尽くされた浜辺が今のように海開きできるのは、この浜辺の風景を取り戻したいと、一つ一つのがれきを取り除いてくれた地元の人やボランティアの人の積み重ねで、また観光客が来る日が訪れたことを、今でも奇跡のように感じているという。ゴミが捨てられていることは大切な心にゴミが捨てられたような気持ちになるのだという。
自分自身と海辺の姿が重なっているような島の人たちの心のありかたに心ひかれる。私は、そこまで一つの場所を大切に思ったことがあるだろうか。

まるで人気テレビ番組の「ダーウィンが来た!」
野生の鮭の産卵スポットが通学路の橋の下に

阿部正人さん

気仙沼中央ICができた住宅地を流れる面瀬川。津波で集落がなくなった河口に近い下赤田橋で野生の鮭の産卵が見られる。人工授精による養殖が進んだ現代においては,東日本でも野生の鮭の産卵が見られるのは非常に珍しい。
2011年の東日本大震災後、津波にも負けず帰ってきている鮭。帰ってきた鮭が産卵した鮭の子供たちが再び戻ってきている。
「いたいた!」通学途中の小学生は橋からのぞきこみ,産卵場所を見つけたメスの鮭にバシャバシャと集まるオスの鮭たちの様子をじっと見つめる姿が毎年みられる。
SDGsを推進している面瀬小学校の3年生は,北の海で大きく育った鮭を題材に総合的な学習を進めている。
今年も,子どもたちは鮭が帰ってくるのを心待ちにしている。

”恋人”発祥の地、江戸時代からの庭園。
名勝「煙雲館」にみる気仙沼の文化

成宮崇史さん

貴族のたしなみであった和歌を大衆文化である短歌に変革した、まさに近代短歌の祖である落合直文。直文が近代短歌史上初めて”恋人”という言葉を用いて歌を詠んだのが、気仙沼が恋人発祥の地といわれる理由である。
「砂の上にわが恋人の名をかけば 波のよせきて かげもとどめず」 そこには読み手の解釈に委ねた、切なさやはかなさが歌われている。
弟子には与謝野鉄幹らが並び、直文の教えは現代まで脈々と続いている。
直文が生を受けたのは、気仙沼の松岩地区にある「煙雲館」。
仙台藩御一家筆頭の鮎貝家の庭園で、江戸時代初期の寛文年間(1661年〜1673年)に作られ、仙台藩茶道頭の清水動閑の作と伝えられている。2017年には「煙雲館庭園」として、国の名勝にも指定された。
煙雲館には日本に数本しかないと言われる「シダレイトスギ」など貴重な樹木が多く見られる。360年来の日本庭園は、その中を歩いているだけで文学的な創造意欲がかき立てられるほど神秘的である。
恋人気分を味わうのに年齢は関係ない。ぜひ一度、”恋人”発祥の地である煙雲館に足を運んでいただきたい。

気仙沼には主体性を引き出すプロがいる

高本翔太さん

「他人のチャレンジにまずは“いいね!”と言えるまちにしたい」
そう語るのは認定NPO法人「底上げ」理事の成宮崇史さん(37)だ。
震災から5カ月が経った2011年8月、「現地を自分の目で確かめたい」と当時働いていたカフェを辞め、テントと寝袋を持って気仙沼に飛び込んだ。テント泊をしながら支援活動に奔走し、たった2カ月で「この地に残ってまだできることがある」と移住を決意。さらには支援に来ていた若者2人 と意気投合しNPO法人「底上げ」を立ち上げた。
2012年からは学習支援活動に携わり、そこで高校生の「自分たちもまちのために何かしたい」という地元への想いに触れ、その想いを形にするサポートを始めた。すると高校生たちは「底上げYouth」を結成し、観光ツアーの企画などの様々なプロジェクトを生み出していった。2013年に開いた発表会では 市民が「高校生すごいね!」と感動しているのを見て活動の大事さを実感。そして何より高校生が成長していく様子を見れるのが嬉しかったという。
それ以降も「社会の中で豊かに生きる力を身に着けてほしい。豊かに生きるには自分の想いから主体的に動くことが大切」という思いで高校生をサポートし続けて、高校生がまちの中でチャレンジする機会とそれを応援する人の数を増やそうと、市や高校と協働した取り組みも行った。 現在では「高校生になって地域の中で主体的な活動をすることが“意識高い系がやること”ではなく、誰にとっても面白いことだという感覚を持ってほしい」と、探求学習コーディネーターとして小中学校の総合学習にも携わる。
高校生と関わり始めて9年目になり、当時から関わってきた子と一緒に仕事できるようになったり、 就活の相談に来てくれたり...…と、嬉しい瞬間が増えたそう。そんな成宮さんに今後について尋ねると、「人のチャレンジにまずは“いいね!”と言えるまちの土壌 を作って行きたいし、自分自身もチャレンジしてる背中を見せたい」と話してくれた。

認定 NPO法人底上げHP:http://sokoage.org/

八瀬ワインの山ぶどう、収穫間近もコロナの影響が

伊東隆太郎さん

宮城県気仙沼市、「海と生きる」と市のスローガンで掲げるほど水産業をメインとする港町だ。ちなみに日本国内で「け」から始まる市は、気仙沼市しか存在しない。
気仙沼市には沿岸部の他にも山間部があり、稲作や登山、渓流釣りなど、様々な山と生きる魅力がある。
その山間部のひとつ八瀬(やっせ)地区、ここには田島憲司さんが経営する八瀬ぶどう園がある。
田島さんは2004年から1人で八瀬でぶどう園を始め、2009年から山ぶどうワインを作り始める。
ワインはその翌年に完成し、おととしから販売を始めた。
現在は八瀬地区に引っ越した田島さんだが、元々は八瀬地区の住民ではなかったため、ぶどう園を始めるにあたっては大変な苦労があったが、それはまた別のお話。八瀬地域で稲刈りが始まる頃、ワイン用の山ぶどうが収穫の時季を迎える。
今年は曇り続きで日照が少なかったが、それでも生育が良く、実が多く付きすぎたほどだと言う。
毎年収穫の際にはワインのファンの方に収穫をお手伝いしていただくサポーター制度をとっており、そのサポーターは地元だけではなく東京や他県の方も多く、収穫作業のために気仙沼に訪れる。
ところが今年は新型コロナウイルス蔓延防止のため、屋外の作業とはいえ、関東圏から気仙沼への移動は避けた方が良いのではないかとサポーターの方々が心配して伝えてきたそうだ。
収穫後の試飲会も毎年レストランで開いているのだが、今年はどうするか頭を悩ませている。

カツオを抱えた「えびすさま」

井坪美喜乃さん

気仙沼市内湾にある神明崎。そこに一体の恵比寿像がある。えびすさまが小脇に抱えているのはもちろん鯛かと思いきや、なぜかカツオ。これは一体?
このえびすさま、実は三代目にあたる。初代、二代目は一般的なえびすさまと同じように鯛を手にしていた。二代目が東日本大震災で流され、行方不明になったため、新たに三代目恵比寿像が製作されることに。その三代目の製作にあたって、気仙沼市が2019年まで23年連続生鮮カツオの水揚げ日本一であることから、鯛ではなくカツオになったのである。しかも一般的にえびすさまは座った姿がほとんどであるが、ここのえびすさまは初代からいずれも立ち姿の珍しいえびすさまなのである。
地元内湾・魚町で船舶仕込業を営む齋藤和代さんは、「おしめさん(五十鈴神社)に行くと、いつも漁の安全と大漁を見守るように立っていたえびすさまが『カツオ』を抱えて帰って来たのは嬉しいニュースでした。1代目は戦争、2代目は津波で流され、その度に氏子、漁業関係者が力を合わせて復活させてきた、えびすさまです。2011年3月の東日本大震災で被災した魚市場を6月の鰹船の入港までになんとか間に合わせて再開させたその時の熱い思い、そしていつも遠く九州、四国などから気仙沼へ入港していただく鰹船の皆様への敬意を込めてカツオを抱えることになったのかなと思っています」と話す。毎年カツオの初水揚げに皆が大喜びし、街が湧き上がる気仙沼なら鯛がカツオになるのも当然の成り行きなのかもしれない。
日本中探してもカツオを抱えた立ち恵比寿像に出会えるのは、ここ気仙沼だけではないだろうか。

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