ワークショップ参加者レポート

「ここは南のユートピア」北海道なのに南!?
北の大地に根付いていたオホーツク文化

「ここは南のユートピアだった・・・」
北海道の北東に位置する網走。日本最北地であるこのまちを網走市役所、生涯学習係の瀬口 智大係長はそう語った。
なぜ最北の地が南のユートピアなのか。その理由を網走に根付いていたオホーツク文化から探る。

網走にはモヨロ貝塚と呼ばれるオホーツク文化の遺跡がある。
道北の玄関口である女満別空港から車でおよそ20分、国道39号線から細い道を進んだその先に大きな博物館が見えてくる。
遺跡は森の中にあり、博物館がなければここに遺跡があるとはわからない。

オホーツク文化とは、およそ1300年前にサハリンから千島列島にかけて作られた文化で、ロシアと中国の間にあるアムール川〜北海道の北、サハリン島からきた人々によって築かれた。

博物館の近くには、実際に彼らが生活していた場所があるというので歩いてみた。
住宅の形は竪穴式の六角形。穴はかなり深い。
穴の先には骨塚と呼ばれる熊の骨が山積みになっていて、ゾッとする。1300年前の熊の骨なのかと思うと、「原始時代にタイムスリップしたか!?」と錯覚してしまう。

住宅の近くには墓地があり、盛り上がった土の上に甕(かめ=土器)が刺さっている珍しい様式。甕は死者の頭の上に逆さまに配置されていることから、被甕墓(かぶりかめぼ)と呼ばれている。生々しい生活の跡にノスタルジックな気分にさせられる。

近くには猛毒のトリカブトが群生し、これを狩りに使っていたのだろうか?と、遺跡と見られるものから先人の生活に思いを馳せた。

この地域には、同時期、同地域にアイヌ文化の前身となる擦文(さつもん)文化と呼ばれる文化が存在していた。しかしオホーツク文化はそれとはまた違う文化だという。
また、この遺跡には1500年前の縄文時代の文化も存在し、多文化が根づいていた地域だったと想像できる。

瀬口係長は、「網走は北の最果て、終着駅などと言われるが、このオホーツク海沿岸の諸文化からみると最南に位置する」と話す。

博物館にあった地図を見てみると北海道の北西、オホーツク海を中心にユーラシア大陸、カムチャツカ半島、サハリンや千島列島などの諸島が連なり、一つの文化圏を形成しているのがわかる。各地で見つかる出土品も似ており、関連があるとみられている。 つまり、オホーツク文化圏の人からすれば、ここは日本人から見た沖縄のような場所だったのかもしれない。

その文化圏の中でも、この網走にはオホーツク文化だけでなく、アイヌ文化の前身である擦文文化、縄文文化と3つの文化が存在していた。それだけ過ごしやすく人の集まるところであったということだろう。
出土品の中には、モヨロのヴィーナスと呼ばれる精巧な女性像も見つかっており、美術、工芸文化も発達しており、生活が豊かであったことがわかる。

モヨロ貝塚館、解説員の佐久間 麻奈美さん はオホーツク文化人について、「分け隔てなく、平等。争いのあとも見つかっていない」と話す。

それは、死者の埋葬のされ方に優劣がないこと、同地域で擦文文化と共生していたことからも伺える。
オホーツク文化は最終的には擦文時代と融合もしくはサハリンへ戻っていったとされ、網走から姿を消していった。
オホーツク文化の記録はこの地域の他、アイヌにオホーツク文化人のことを”レプンクル(海の人)”と呼ぶ言葉があるくらいであり、詳しい記録は、モヨロ貝塚以外にほとんど残っていないという。

モヨロ貝塚館に行くと、骨塚や被甕墓、オホーツク文化人の生活の姿をそのままの状態で見ることができる。
その際には、解説員の佐久間さんの解説を聞いて欲しい。一人で回るだけでは気づけない発見の手助けをしてくれるだろう。

ネットどころか新聞すらない、情報の少なかった時代に、自ずと人が集まるこの地域こそが真のパワースポットと呼ぶにふさわしい場所なのかもしれない。

【情報】
網走市立郷土博物館分館「モヨロ貝塚館」
〒093-0051
北海道網走市北1条東2丁目
TEL.0152-43-2608
■開館時間:9時~17時 冬期間(11~4月)は16時まで
■休館日
 7~9月は無休
 10~6月は月曜・祝日、年末年始(12/29~1/3)
■交通機関
 JR網走駅より徒歩約25分
 女満別空港より女満別空港線バスで30分「モヨロ入口」下車徒歩5分

網走の水道水は衝撃的にうまい!
雪解け天然水がいつでもどこでも飲める

網走の水道水がうまい。2年前の移住初日のこと。水道の蛇口をひねって出てきた水がヒンヤリしていて気持ちがいい。その水を一口飲んでみて全身に衝撃が走った!「この水はなんだろう?」、口当たりのいい軟らかさ。すっと馴染むように喉を流れていく心地よさ。なんとも美味しい水なのだ。
網走の水道水がなぜこんなにうまいのか、その秘密は水源にあった。

網走の水道水はとにかく美味しい。日本各地に名水はあれど、網走では、雪解の湧水が蛇口をひねればすぐに飲める。こんな極上の水がいつでも自宅で飲めるのは、網走市民はなんとも幸せじゃないか。

2年前、この地に移住してきた初日、網走の水道水が美味しいことに驚いた。水道の蛇口をひねって出てきた水にふれてみるとヒンヤリしていて気持ちがいい。その水を一口飲んでみて全身に衝撃が走った。「この水はなんだ?」、口当たりの軟らかさ。すっと馴染むように喉を流れていく感じ。なんともいい水だ。ただならぬ美味しさなのだ。

網走市によると、市の水道水源は「藻琴山(もことやま)に降り積もった雪がとけて火山岩・火山岩層をくぐって地下から湧水する泉」だそうだ。なんとも贅沢な水源ではないか。大自然に磨かれた湧水が水源なのだ。美味しいのは言うまでもない。水道水源に湧水を使っているので、夏も冷たい極上の天然水が飲める。なんという贅沢か。

網走市民に水道水のことを尋ねてみた。多くの市民はこの水道水の存在が当たり前になっているようで、この水道水がどれだけ美味しいかについて自覚していない様子だ。だが、ご高齢の方から「昔、藻琴山の湧水地だったか、そこの水利権だったか、網走市が買い上げたらしいよ。それでね、網走の水道水は藻琴山の湧水なんだね」という話を聞いた。この名水を買い上げた網走市よ、素晴らしい!万歳!

網走市によると「水源は飲料水としての水質をすでに十分に満たしており、従って、浄水処理は次亜塩素酸ナトリウムによる滅菌処理のみ」だそうだ。通常の浄水処理では薬品等による様々な処理が行われている。これらの処理を必要としない網走の水源がどれだけ上質であるかがうかがえる。

水道水は「大空町東藻琴(おおぞらちょうひがしもこと)の藻琴山の麓にある三つの水源地から、2本の導水管と呼ばれる太い管によって送られてきます。水源地から網走市内までは約30㎞の距離があり、水は約10時間かけて送られてきます」とのことで、湧水なので一年を通じて水温が低く安定しているのも美味しさの秘密である。

藻琴山の雪解け水が地層で磨かれて地上に湧きだすまでの永い時の流れ、その湧水が浄水場から30㎞もの導水管をくぐり抜ける長旅に想いを馳せながら、極上の湧水が自宅で飲める幸せに感謝して、今日も網走の水を思う存分味わおう。

網走市上水道ウェブサイト:https://www.city.abashiri.hokkaido.jp/280josuido/

「ホタテ貝の噴水?」「剥かなくていいカニ?」

水揚げされたホタテ貝は、生きているときはしっかり口を閉じているものです。加工(剥き)しやすくするため、海水のシャワーをかけて自然に口が開くようにしている。ホタテ貝がしっかり海の水を浴びて気持ちよさそうに見え、まるで「噴水」のごとし。

そんな新鮮な海産物の販売・製造・加工を網走で行う有限会社牛渡水産。社長の牛渡貴士(うしわたりたかし)さんは平成27年に故郷・網走へUターンをした。牛渡さんにお話を伺うと、商品に「付加価値をつける」発想がこれからの水産の要になると感じた。。

注目したいのは「ケダマ」という商品。殻剥きをした毛蟹の身と蟹味噌を甲羅にぎっしりと丸く詰めている。まさに「毛蟹の良いところ取り」の商品。通常、カニを食べるときは殻を剥かなくてはならない。しかし、それをすぐに口にすることができる。殻を向く手間が省けるという「付加価値」がついた商品。
、その「ケダマ」は2018年のモンドセレクション優秀品質最優金賞を受賞。世界的に高い評価を受ける商品。

「ケダマ」を生み出したのは社長の貴士さんである。Uターンから7年経った今も、新しい挑戦する姿勢に「かっこいい」と感じた。。会社を「親から子へ」引き継ぎの葛藤も少なからずあったようだが、筆者としては今後も牛渡さんがどんどんと新商品を生み出すことを楽しみにしている。

揚げ温度は208℃!網走市民のソウルフード
「長天(ながてん)」ってどんなもの?

網走のスーパーで必ず見かける長天は、タラのすり身の揚げ蒲鉾だ。煮たり焼いたりカレーに入れたり、市民の使い方は実に多様。長天が広く市民に愛される理由に迫った。

網走川の川沿いにある大谷かまぼこ店には熱気が立ち込めている。工場は40 ℃ を越え、まるでサウナだ。汗を拭い、水分補給をしながら、4代目社長の大谷朝彦(ともひこ)さんは、揚げ温度208℃にこだわって今日も長天を製造中だ。原料はスケトウダラのすり身。塩、デンプン、砂糖などの調味料は昔ながらの配合を変えず「祖父や父の味を守れているのかな」と伝統にこだわる。子供の頃はおやつも長天だったと言う社長の好きな食べ方は、フライパンで炙って砂糖醤油で味付けするというもので、長天の味付けの幅広さに驚かされる。
水産加工業の盛んな網走市内には、かつて24軒もの蒲鉾店があったというのだから、相当身近な食材だったのだろう。「どんな料理にも入れているうちにソウルフードとして定着した」ということらしい。
現在は網走からすり身工場がなくなり、蒲鉾店も他に2社を残すのみとなっている。大谷かまぼこ店も攻めの姿勢に転じ、催事に出向くことも多いそうだ。後継者の候補も現在修行中とのことで、伝統の継承が期待される。
そんなソウルフードをバーベキューに持ち込んでみた。ふっくら膨らんだアツアツの長天は、あっさりながら甘みがしっかりしていて味付けしなくても美味しい。焦げやすいので注意が必要だが、子供から高齢者まで食べやすい万能な料理だと感じた。
揚げたての長天は、大谷蒲鉾店の直売所で購入できる。販売は9時半から。水曜定休。シンプルな長天の他にもカボチャ天、チーズ天、蒸し蒲鉾などがある。

有限会社大谷かまぼこ店
住所:北海道網走市南1条東1番地

網走の「ホタテの小さな小さな赤ちゃん」が元気に泳ぐ姿に感じる生命の神秘と感動

小さな小さなホタテの赤ちゃんが縦横無尽に泳ぎ回る姿を見たことがあるだろうか。その大きさは2分3厘と小指の爪半分にも満たない。その姿を唯一見ることができる場所は、ホタテの稚貝(ちがい)分散の作業。生命の神秘と共にある作業を、網走のホタテ専業漁師「村田漁業」で体験した。

小さな小さなホタテの赤ちゃんが、元気に泳ぎ回るその姿を見たことがある人はほとんどいないだろう。
作業中の休憩明けにホタテに近づき、ふるいを触ると、まるで人間から逃げるように、ホタテが激しく泳ぎ回る。
その姿は、節分の際に登場する鬼から子どもたちが血相を変えて真剣に逃げ惑う姿にどこか似ていて、これほど激しく元気にホタテの赤ちゃんが泳ぐものだということを私はこの作業を体験するまで知らなかった。

はじめてその姿を見た時の感動は「まさに生命の神秘に触れた」という一生忘れられない驚きと感動であり、この作業に携わって2年経つが、毎回それを感じ続け、「これはもうやめられないな」と思う私がいる。

ホタテの一大産地網走では、毎年6月に稚貝の放流作業が終わると、「提灯(ちょうちん)」と呼ばれる採苗器(さいびょうき)にあたる網を海に設置し、翌年の作業に備える。
この提灯はホタテの稚貝が自然発生的に集まる天然のゆりかごの役目を果たすものになる。
回収は、毎年8月下旬から9月にかけて行い、中間育成をさせるために「座布団」と呼ばれる籠網(かごあみ)にホタテの稚貝を移す。そして再び海へと戻して春のホタテ稚貝の放流までさらに育成するために必要となる「分散」と呼ばれる作業をする。

これは深夜23時半ごろから、番屋と呼ばれるホタテ漁師の作業場に20人ほどの人が集まって行われる。鱒浦(ますうら)漁港には5番屋ほど存在するため、人数はおよそ100人にのぼる。

作業は海に吊り下げてあった提灯を船で回収することから始まる。
回収した提灯から、ホタテの赤ちゃんをほろい(北海道弁で「振って出す」の意)出す作業を行った後、専用の機械でホタテを大きさごとに分類し、座布団に移され、再び海へと戻されるが、全てを機械で分類することはできないこともあって、「ふるい」を使って手作業で大きさを分類しながら、天敵のヒトデをはじめ、小型のエビやカニ、カラス貝などの異物を除去して、座布団に詰めて海へと戻す。
ここまでの分散の作業は「仮分散」と呼ばれる分散の準備段階にあたる。

この作業が終わると数日の育成期間を置いたのち、「本分散」がはじまる。

本分散は、数日間の中間育成期間を終えた座布団(一部、提灯もまだある)を海から船で回収し、座布団から振って出したあと、機械と手作業で異物を除去しながら再び稚貝の大きさごとに分類する作業となる。
分散されたホタテの稚貝は再度、座布団に詰め直され、中間育成を春まで行うために海へと戻されるのである。
これが5月下旬から始まるホタテの稚貝放流作業の際には、いわゆる「ホタテ稚貝の味噌汁」や「ベビーホタテ」として販売されるほどの大きさにまで成長する。

この一連の分散作業は「生育する海域によってホタテの成長の速度に差が出てしまうので、、大きさを一定の規格に揃えるために分類する必要がある」ため、毎年欠かさず行わなくてはならない。

ホタテ専業漁師として、ホタテの稚貝を育成し、網走漁業協同組合を通じて春のホタテ稚貝放流から秋の分散まで一貫して作業を行う村田漁業の村田隆蔵(むらた・りゅうぞう)さんは「ホタテの成貝(ながい)の値段は最近大きく上がっているが、稚貝の値段はどういうわけか上がらない。だから燃料の高騰や資材の高騰の影響をもろに受けている。仕方ないんだろうけど、なんとかならないかと思う。」と話されていた。

網走で取れるホタテの稚貝は、網走の海であるオホーツク海近海に放流され、5年かけて大きな成貝として漁獲されるのはもちろんだが、噴火湾(ふんかわん)など他の地域にも出荷され成貝へと成長するために必要な「種貝」となるものもあるとのことで、北海道のホタテ漁業を支える重要な役割も持っている。

また、こうしたホタテ稚貝の養殖作業には多くの人手が必要で、春の放流の作業には1つの番屋で100人ほど、全体で1000人の人手が深夜から早朝にかけて必要になる。

美味しいホタテを食卓に届け続けるためにも、生命の神秘に触れる感動と共にある「この時期のホタテの稚貝分散の作業を体験される方や携わる方が増えてほしい」と筆者は心から願わずにはいられないのであった。

ホタテの稚貝分散:8月〜9月
ホタテの稚貝放流:5月末〜6月

【作業に関するお問い合わせ】
網走市市役所・網走市水産漁港課
0152-44-6111
https://www.city.abashiri.hokkaido.jp/
網走漁業協同組合
0152-43-3121
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/sr/ske/osazu/oz06gok/gok052.html

『圧巻!炉端LIVE』老舗居酒屋のコの字劇場から始まる 網走はしご酒

網走市に数多くある居酒屋の中でも、老舗と呼ばれる酒菜亭喜八(さかなてい きはち)。こちらのお店には、焼き台をコの字型に囲む大きなカウンターがあります。
カウンターから見ることができる、肉や魚介類が炭火で次々と焼かれていく様は、まさに『圧巻の炉端LIVE』、そして食材へのこだわりや、お客様への敬意を感じさせる丁寧な焼き上がりは、序盤からエキサイティングな気持ちにさせてくれます。

お店に入ると、大きなコの字カウンターと笑顔の青木勝洋(あおき・かつひろ)マネージャーが迎えてくれます。
カウンター席に腰を下ろし、まずは串焼きの盛り合わせと生ビールを注文、さあ『炉端LIVE』のはじまりです。
食材が炭火の網の上に置かれ、料理人と食材との真剣勝負が開始、パチパチと音をたてる焼き台、少しずつ焼けていく6種の串焼きを眺めながらビールを一口二口、「あー、美味いっ」まさに臨場感溢れる最高の待ち時間です。

目の前で繰り広げられる料理人達のキビキビとした動きや仕草、ハツラツとしたお客様との会話、焼き上がりに焼き台から直接手渡される演出ともに、「ジュー」という音と立ち込める香り、五感が刺激され食べるその料理は、身体ごと満足させてくれます。

喜八では、今回注文した串の盛り合わせやエゾシカのたたきのほか、鯨料理や肉料理、絶対的な目利きを持つ中野鋭一郎調理主任が厳選した地元食材を中心に、旬の魚介類や野菜料理が沢山あり、日本酒の種類も豊富に常備しています。
日本酒選びに迷った時は、まずは青木マネージャーや中野調理主任にご相談を、料理に合った美味しい日本酒が出てきますよ。

『帰る時の方がちょっと幸せ』

青木マネージャーにモットーを聞いてみました。
「お店に入る時よりも、帰る時の方がちょっと幸せ」
そんなサービスを目指したいと、以前からずっと思い続けているそうです。
「後輩たちには、その思いを伝えていき沢山の成功体験を経験させていきたい。固くなり過ぎず砕け過ぎず、絶妙な距離感を保った最高のサービスを網走に根付かせて行きたい」と熱くお話ししていただきました。

「帰る時の方がちょっと幸せ」と青木マネージャーは謙遜気味に話されてましたが、目指しているサービスは、料理を取り仕切っている中野調理主任はじめ、全ての従業員の方々へに確実に伝わり、自信があるからこその言葉なのだと私は感じました。
そのせいなのか、私が店を出る時に感じたのは、「うまかった〜」との呟きと同時に「とっても幸せ」な気分でした。

また行こう、炉端LIVEへ。

そして、そんな素敵な網走酒場にまた出会いたく、私は次の酒場へはしご酒に向かいます。
「流氷の下、海底熟成のお酒」を味わえるBAR、「本物の流氷を使ったカクテル」を味わえるBARなど、網走の酒場は一軒で満足するのは勿論十分ですが、酒場をはしごしてこそ、よりディープな網走の真髄が見えてきます。

次の酒場、すなわち今宵のはしご先のお話は、いずれローカリティ!で。

☆酒菜亭 喜八
住所 : 網走市南四条西3丁目
TEL. 0152-43-8108
定休日 : 不定休

使われなくなった旧公民館音楽室に北限の漆!

網走には江戸時代に本州から移植された漆の子孫が残っています。網走うるしの会ではその漆を残すために草刈りをしたり移植したりする活動をしています。もちろん採取した漆で漆塗りもしています。

漆の魅力はどんな素材にも工夫すれば塗ることができることです。欠けた器の再生(金継ぎ)など、ずっと大事な器を使い続けることが出来るのです。

私は、木地(きじ)を漆で拭きあげる拭き漆(ふきうるし)を体験してみました。
塗って漆風呂(漆を乾燥させる専用設備)に入れる。これを最低10回ほど繰り返します。

この漆を塗った食器で食べた時の感動。
スプーンが口にあたった時に漆の艶々した感触が伝わってきます。
お弁当箱には殺菌作用もあるそうです。

網走において漆はまだたくさん採取出来ないとの事ですが、網走で漆が採取できる事や網走産漆があるということをたくさんの人に知って欲しいです。

網走うるしの会
http://urushinokai.blogspot.com/?m=1

Facebook
https://www.facebook.com/abashiri.urushinokai/

場所取り不要で大迫力!2尺玉など4,000発の花火が彩る網走の夏

「自分たちに、花火が降ってくる!?」
都会では考えられない「大迫力」と「快適」な花火大会!
「2尺玉」や「ワイドスターマイン」など約4,000発を、「場所取り不要」という程よい混雑と「気温 約22℃」という程よい気候のなか、オホーツク海から打ち上がる大迫力の花火が楽しめます!

毎年7月下旬の土曜日、網走港のシンボル「帽子岩」周辺から約4,000発の花火が打ち上がります!

当日、打ち上げ場所の対岸にある道の駅「流氷街道網走」では「味わい広場・納涼ビールまつり」が開催されており、昼過ぎからワクワクしながらその時を待ちます。
打ち上げが近づく夕刻、浴衣を着たカップル、赤ちゃんを抱っこしたファミリー、手押し車を押すシルバーの方々など老若男女が続々と集います。

いよいよ打ち上げの19時30分。
防波堤いっぱいから打ち上がるスターマインで、花火大会がスタート!

音楽とのコラボ花火
空気が揺れるほどの迫力がある2尺玉。

御利益あるかも?!
七福神ウォークで網走の絶景に出逢う

網走市内に過去に七福神を祀っていた7箇所、約30キロを巡る七福神ウォーク。
地元民も初めて出逢う景色がたくさんあります。巡り終わったら、併せて開催されているあばしり七福神まつりの抽選会で豪華景品が当たる?かも

七福神ウォークは、毎年9月上旬に開催される「あばしり七福神」まつりに合わせて行われます。
網走市内から郊外までの約30㎞を6時間かけてゆっくり巡ります。
網走神社(弁財天)⇨御野立所(大黒天)⇨モヨロ貝塚(恵比寿)⇨向陽ヶ丘(寿老人)⇨網走刑務所(毘沙門天)⇨天都山(福禄寿)⇨不動産(布袋尊)

全てのポイントから、網走川の河口にある帽子岩が、オホーツク海をバックに綺麗に見えます。
網走川に沿って歩く際には、遡上する鮭を捕獲するウライ(鮭親魚捕獲柵)をみる事ができます。今回はタイミングが悪く、残念ながら遡上する鮭は見れませんでした。

コースは平坦な道ばかりでなく高低差もあるので、途中の辛い坂道などでは森林浴気分を味わったり、出逢ったリスに癒されたので少しだけ楽に歩けたかも?

七福神巡りは、昭和4年網走神社の総代ら7人の有志によって七福神の小祠が設けられたことから始まりました。その後年中行事として七福神巡りが春秋2回盛大に行われていたそうです。

戦後の混乱によって中断し、以来七福神のことは忘れ去られていて、現在祠が残っているのは、天都山の一箇所で、流氷館の敷地内にあります。石碑として残っているのは2箇所で5箇所は残っていません。

網走を盛り上げていく為に地元民が協議を重ね、平成6年にあばしり七福神まつりという形で復活しました。

網走のソウルフード 「長天」おすすめは網走の人だけが知っている「長天カレー」という食べ方!

網走市民のソウルフード「長天」、一般にさつま揚げと呼ばれるものです。
そのままでももちろん、煮物や炒め物など色々な料理につかわれますが、その中でも1度チャレンジしてもらいたいものがカレー。
市内の大谷蒲鉾店では、北海道産のすり身にこだわり、運が良ければ揚げたても買うことができます。冷凍すり身の発祥地網走で長天をぜひ。

網走市民にはおなじみの「長天」。魚のすり身に味を付けて油で揚げた物で、一般的にさつま揚げと呼ばれるものです。網走では「天ぷら」と呼ばれ、その中でも長方形のものを「長天」と呼びます。大きさはスマホを少し縦長にしたくらいで、こんがり揚がったキツネ色が美味しそう。

そのままでももちろん、煮物や炒め物など色々な料理に使います。その中でも1度は食べてもらいたいのが長天カレー。肉の代わりに一口大に切った長天をカレーに入れたもので、目からウロコの味。カレーの辛さをほんのり甘い長天がマイルドにして子供にも人気です。

網走で長天を売る蒲鉾屋は、昔は24軒を数えたものの現在は3店舗を残すのみとなり、それぞれに秘伝の作り方があり味も違います。

そのうちの大谷蒲鉾店は創業66年で現社長の大谷朝彦氏で4代目。ナルト・チクワ・板蒲鉾、そして天ぷら等、30種ほどを作っているそうです。

原料はスケトウダラのすり身。取材に伺った日の原料は余市の工場から来たもので、すべて 「北海道産にこだわっている」 そうです。

網走は冷凍すり身の発祥地で昭和30年代に網走で事業化されたという歴史があります。

しかしスケトウダラの漁獲量が減り、現在網走にすり身工場が無い状況で輸入原料も多い中、北海道産のすり身にこだわった天ぷらはとても嬉しいですね。

大谷蒲鉾店の商品は地元のスーパーや商店、そして工場でも直売を行っていて、運が良ければ揚げたても購入できます。

世界共通語「SURIMI」の発祥地網走で、ソウルフード長天をぜひどうぞ!!

https://www.city.abashiri.hokkaido.jp/380suisangyo/030ikiiki7/030tara/010tarasurimi.html

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