南部鉄器ではじめる、白湯のある暮らし
朝早く起きて、すてきな鉄瓶で淹れる1杯の白湯。寝起きの体が穏やかにほぐれていき、ゆっくりと1日が始まる。私たちの朝時間を変えるのは、一生ものの「南部鉄器」かもしれません。いつも友人が淹れてくれる白湯のおいしさや、鉄瓶を愛でる姿に、このごろ羨ましさを感じていました。使い心地を尋ねると、食卓でも大活躍!なんだそうです。
私もいつか南部鉄器がほしい。そんな憧れの気持ちを抱えてお伺いしたのは、岩手県奥州市で最も古い南部鉄器工房「及富」です。
奥州藤原氏の時代からつづく「南部鉄器の歴史」
「及富」があるのは、いまも50を超える鋳造所がある鋳物の一大産地、岩手県奥州市。世界遺産の平泉を築き上げた初代藤原清衡が、平泉に移るまでの時間を過ごしたことでも有名な地域です。
良質な粘土や鉱物が取れ、鉄器製造に最適な環境なのだそう。約900年前に、藤原氏が近江の国(滋賀県)から鋳物師を招いた時から、南部鉄器の歴史が始まったのだと言われています。
アイデアと伝統工芸を結び生まれる、及富らしさ
お話を伺ったのは、株式会社及富の菊地 章(きくち あきら)専務です。及富のある水沢地区は今も大小多くの鋳造所が残る水沢鋳物の中心地。もくもくと煙突から上がる煙やシックな建物が点在する様子は、町全体がものづくりの空気に包まれているように感じます。
1848年嘉永元年から始まった及富の歴史。1970年には上皇、上皇后陛下もご視察されたという、まさに老舗の工房です。
ずらりと並んだ南部鉄器に圧倒されていると、伝統的な鉄瓶に混じって「南部鉄器のゴジラ」を見つけました。これは…?
「キャラクターと伝統工芸のコラボをみると驚かれる方も多いですね。1つの鉄瓶を工房全体で分担しながら仕上げる仕組みが一般的ですが、うちは職人の自由なアイデアを応援したいと思っています。やりたいと思ったら、企画して、プレゼンして、制作して、販売まで手掛ける。ものづくりの楽しさを大事にしてほしいんです」と菊地さん。
この日、工房では若手の職人さんにたくさんお会いしましたが、全く違う業種から転職される方も多いのだそう。「別業界の経験と伝統工芸を結びつけることから新しい価値が生まれるんですよ」という言葉から、及富の革新的な社風が見えました。
鉄瓶職人の経験が凝縮された「平成丸あられ」
さて、そんな及富でご紹介いただいたのが、平成元年に先代が考案した「平成丸あられ」。
丸みのある鉄肌にぽこぽこと小さな凹凸が規則正しく並ぶあられ模様は、南部鉄瓶では古くからある定番のデザインですが、この模様が鉄瓶の表面積を増やし、保温効果につながるというから驚きです。平たく底面が大きいことで、湯が湧きやすいというメリットも。シンプルで主張しすぎず、現代の生活に馴染む佇まいの中に、先人の知恵がぎゅっと詰まった一品です。
平成丸あられは内側にもぜひご注目を。外側に比べると少し薄く、グレーに近い色をしています。これは、800度の高温で焼く「窯焼き」という伝統技法を使っており、さび止めの酸化皮膜を作ることができるのです。火、土、鉄、自然にあるものを使い、少しずつ生活を豊かにしてきたんだなぁと先人の暮らしに思いを馳せてしまいます。
菊池さんも、「地球上で古代から大切な存在だった鉄。大切な資源を使わせてもらっている、という気持ちは忘れずにいたいです。金のようにキラキラひかる訳ではないが、ずっしりと確かな温かみある鉄という素材で、これからもずっとものづくりを続けていきたい。」とお話し下さいました。
家族の真ん中に、南部鉄器がある生活
鉄瓶は買った後のお手入れが心配…。そう思って尋ねると、意外に簡単!お手入れのポイントは「乾燥」なんだそうです。使用後は水分を蒸発させるために少し火にかけ、蓋をずらして収納し、ときどきお茶の葉を湯のみ一杯分ほど鉄瓶に入れて湯を沸かすと、茶葉のタンニンが鉄と反応して、鉄瓶内面の保護に繋がります。
「常連のお客様にね、4歳のお子さんが『(鉄瓶は)お湯が美味しいから大好き』と言ってくれるご家族もいるんですよ。」と嬉しそうに話す菊地さん。家族のおいしい笑顔の真ん中に鉄瓶がある暮らしは、モノを大切に使う心も自然と育むことができそうです。「いつかは私も欲しいなあ」と憧れていた南部鉄器ですが、菊地さんからお手入れの話や使い方を聞くうちに、今の自分にも使えるかも?と思うことができました!いや、むしろ今だからこそ毎日の中に白湯時間を取り入れてみたいですね。手に届く場所に本物があることで生活はどんなふうに変化するのか、今から楽しみです!