陸路・海路ともに中継交易地として栄えた尾道市
江戸時代、港町として繁栄を極めていた備後(びんご)・尾道。その要因は、東北や蝦夷(北海道)の米・産品を積み込み、瀬戸内海を通って大阪へと向かった船「北前船」の存在にあります。海と山が広がり、東西南北に開かれていた尾道は中継交易地として、物資が集まる要衝の地であり、町と町をつなぐ商業地として繁栄。さらに同地は、東西の幹線道路だった西国街道(さいごくかいどう)と、南北を結ぶ銀山街道が交差し、陸路・海路ともに発展してきました。
旧西国街道沿いに佇む、尾道唯一の酒蔵
商人の町であった趣は各所に漂っていますが、とくにその情緒を色濃く残すのが旧西国街道沿い。かつての商家や、町の繁栄に伴って建立された寺社などが並び、歴史が感じられるエリアです。近年、尾道水道が紡いだ中世からの“箱庭的都市”として日本遺産にも登録されました。
そんな旧西国街道沿いの西端にあり、三軒家町に位置するのが、尾道唯一の酒蔵「吉源酒造場」です。裏手には千光寺山がそびえ、ここから麓(ふもと)まで流れ落ちる伏流水と地元の米で、長く酒造りを行なってきました。
吉源酒造場の歴史は古く、創業は安政元年。元は因島(いんのしま)の外浦(とのうら)で創業し、昭和のはじめに尾道に拠点を移したのだといいます。「きちんとした記録が残っているわけではないので、おそらくそうだったとしか言えないのですが、にぎわっていた尾道で一旗揚げようと考えたんじゃないでしょうか」と、11代目当主の吉田均(よしだ ひとし)さん。吉源酒造場の歩みと、商品について教えてくれました。
縁起の良さにあやかって命名された看板銘柄「寿齢」
蔵を代表する銘柄が、戦後当時の当主が長命だったことにあやかって命名された「寿齢(じゅれい)」。今回の返礼品である「おのみち寿齢」は、その進化バージョンです。華やかな香りと、甘みと酸の調和が取れた飲み口の「純米吟醸」、香りは弱めながら、原酒ならではの味わいの強さが感じられる「本醸造原酒」が各3本セットになっており、たっぷり楽しむことができます。
さまざまな料理に合う、「純米吟醸」と「本醸造原酒」
やや甘口の純米吟醸は、メロンや白桃を思わせるフルーツ香と、マシュマロのようなほのかな乳製品の香りが特徴。まろやかな甘みに、上品な酸と心地よい苦味が加わり、バランスの良さが自慢です。鯛やスズキの焼き魚、刺身、和風ステーキ、車海老の蒸し物、焼きハマグリといった肴と相性抜群。10~12℃前後に冷やすと旨味が引き立ち、喉越しの良さを堪能できます。
本醸造原酒は、なめらかな中にもドライな味わいが感じられる飲み口。ほど良い甘みにスッキリ系の酸味、心地よい苦味が重なる、キレのある辛口です。冷やにも常温にも適していますが、旨味を強調したい時はぬる燗で。和食であれば牛肉のタタキや焼鳥、ウナギの山椒風味などがぴったりで、味の濃い肉料理や中華料理と合わせても風味をそこないません。
委託醸造と尾道ブランドの確立で事業を継続
長い歴史を持つ吉源酒造場は、決して順風満帆な道を歩んできたわけではありません。昔は備中杜氏と呼ばれる岡山の杜氏が、蔵人たちを引き連れて、10月~3月くらいまで酒蔵に滞在し、酒造りを一手に担っていました。しかし杜氏たちの高齢化に伴い、跡を継ぐ人材がおらず、酒造りの中断をするか否かの決断を迫られたのだといいます。その間、周囲に10蔵ほどあった酒蔵は、大手の酒造メーカーの台頭により、次々と姿を消していきました。
「尾道の酒造りの歴史を残したい」。周囲に相談する中で出てきた案が、「委託醸造の方法で事業を継続してはどうか」というアイデアでした。幸い広島は有数の酒どころであり、各地に老舗の造り酒屋が複数存在しています。人の紹介で県内の醸造所に委託をお願いし、吉田さんたちは販路を拡大するなど販売に力を入れ事業を継続。さらに平成に入り、町おこしの風潮が高まる中で、「尾道ブランドをつくってみては」という声掛けをもらい、誕生したのが「おのみち寿齢」の純米吟醸と本醸造原酒の2種類なのです。
尾道を代表する酒として人々に選ばれる喜び
「この数十年の変遷は本当に目まぐるしく、このブランドのおかげで、今日まで頑張ってこられました。当ブランドが旅人の思い出のお土産品になったり、故郷を離れる人や、県外にいる尾道を愛する人への贈り物に選ばれることは望外の喜びです」と、吉田さん。
ラベルに描かれたひらがなの「おのみち」の筆文字は、尾道が持つ優しさや温かさを表現したそうです。「町の歴史や酒造りの話を皆さんとできたらうれしいです。尾道へお越しの際は、ぜひお立ち寄りください」。