城下町で少年時代を過ごした偉人たち
かつて城下町として栄えた奥州市水沢の街には、今も多くの武家屋敷が残っています。この土地からはさまざまな偉人が輩出されていて、特に蘭学者や医師として名を馳せた高野長英(たかの・ちょうえい)と第30代内閣総理大臣を務めた斎藤實(さいとう・まこと)、そして大正時代に関東大震災の復興に尽力した後藤新平(ごとう・しんぺい)の3人は「水沢三大偉人」と呼ばれています。街にはそれぞれの記念館があるほか、高野長英と後藤新平の旧宅も現存。ここで暮らす人たちは子どもの頃から彼らの功績に触れ、身近な存在として親しんできました。
後藤新平にちなんだ人気のお菓子「大風呂敷」
今回お邪魔した後藤屋は、後藤新平旧宅の近くに店を構えています。1945(昭和20)年に創業し、地元にゆかりのあるお菓子を数多く製造。なかでも目を引くのは、後藤新平が東京の都市改造計画を立てた際に周囲から言われた「後藤の大風呂敷」にちなんだ「大風呂敷」という名前のお菓子です。
上品なあんこでお餅や栗を包んだ「大風呂敷」は、味はもちろん唐草模様のパッケージが手土産にちょうどいいと根強い人気があります。創業当時はバスを唐草模様にして宣伝したこともあったそうで、今で言うラッピングバスの先駆け的存在だったのかもしれません。
返礼品は後藤屋の看板商品をセットでお届け
後藤屋のお菓子の中で老若男女から特に愛されているのが、創業当時から作り続けているどら焼きです。地元産の上質な卵と小豆を使用していて、昔と変わらない製法で職人が毎日焼き上げたものを提供。しっとりとした皮はモチッとした食感で、隠し味に使用している醤油が効いているのか、ほんのりとした塩気も感じられます。それがつぶあんの優しい甘さをより引き立たせていて、いくつでも食べられそうな味わい。一方、高品質な練りごまを使ったごまあんは、ねっとりとしているのに口の中でさらりと溶けていく逸品です。香り高いごまの風味を堪能しながら、あっという間に食べ終わってしまいました。
かつての街の風情を思い、今に伝える銘菓
さらに今回の返礼品は、後藤屋ならではのお菓子がもう一つあります。それは、販売開始から50年以上経っても売れ続けている「麦つき節」です。名前の由来は、地域に伝わる民謡から取ったもの。かつてこの街では、女性たちが麦つき(収穫した麦の穂を杵などで打って実を落とす作業)を行っていて、その際に麦つき節の民謡が歌われていました。麦つきは昼間の農作業を終えた夜に行っていて、日が暮れると女性たちの歌声が街に響き渡ったそうです。その風情をお菓子にして伝えたいと、後藤屋では販売当初から味もパッケージも変えることなく作り続けています。
きな粉好きにはたまらない“たっぷり感”
「麦つき節」の可愛らしい包みを開くと、たっぷり入ったきな粉の上にお餅が鎮座しています。白玉粉を使ってしっかりとした固さに仕上げたお餅にはクルミが入っていて、食感にカリッとしたアクセントをプラス。このままでも十分においしくいただけるのですが、「麦つき節」には忘れてはならないものがあるんです。
それは、黒蜜です。とろりとした黒蜜を思う存分かけたら、あとはもう大きな口を開けて頬張るだけ。食べた瞬間、きな粉の香ばしさと黒蜜のコク、そしてお餅の素朴な甘さが絶妙なハーモニーとなって口いっぱいに広がります。初めて食べたのにどこか懐かしい感じがして、しみじみ「おいしい…」とつぶやいてしまいました。
食べた瞬間、心動かされるようなお菓子を
現在、後藤屋の3代目を務めているのは、創業者の孫、そして先代の息子にあたる後藤大助(ごとう・だいすけ)さんです。お菓子を作る上で大切にしているのは、「まずは自分がおいしいと思うものを作ること。そして売り手の都合ではなく、お客様に感激していただける味を提供し続けていくことです」とのこと。そんな後藤さんは子どもの頃、「後藤屋の息子と呼ばれたくない」と思っていた時期があったそうです。そのため高校卒業後は上京し、お菓子とは全く異なる営業や接客などの仕事に携わっていました。しかしそこで出会った人から偶然、岩手や水沢の魅力を教えられたり、自分自身も年齢を重ねたりするうちに地元への思いが強まっていきました。
移りゆく時代の中で変わらない大切なもの
そもそも後藤屋の創業は、実家が菓子店を営んでいた後藤さんの祖母が、祖父と一緒に新しい店を出したのが始まりでした。後藤さんが子どもの頃は、30人ほどの従業員が昼夜を問わずお菓子を作っていたそうです。「当時は街に百貨店がいくつもあって商店街もにぎわっていました。お菓子を作れば作った分だけ売れる時代だったんです」
当時の思い出があるからこそ、後藤さんは時代とともに変わりゆく街の姿に一抹の寂しさを感じると言います。しかしその一方で、昔と変わらない後藤屋の姿が誰かの喜びにつながることもあります。ある人には、「数十年ぶりに水沢に来た。街はすっかり変わってしまったけれど、昔のままの後藤屋さんがあってうれしい」と言われたこともありました。
お菓子を通してやりたいことは、街への恩返し
「街の菓子組合に行けば挑戦することを前向きに楽しんでいる先輩たちがいますし、悩みを相談することもできます。新作のお菓子の感想を同級生に求めれば、みんな率直に意見を伝えてくれる。これは本当にありがたいことだし、こうした人とのつながりがあってこそ今の後藤屋があるのだと思います」
そう語る後藤さんに「これからやりたいこと」を尋ねると、すぐさま「地域への恩返しです」という言葉が返ってきました。仲間がいることの心強さと、お菓子を通して多くの人に喜んでもらいたいという熱い思い。そして、何よりも大きな感謝の心。後藤屋のお菓子には人が人として生きる上で大切なものが、たくさん詰まっていました。どうぞゆったりとした気持ちで、味わってみてください。
東北支部(岩手県奥州市担当) / 山口 由(やまぐち ゆう)
2011年、東日本大震災をきっかけに横浜から盛岡へUターン。現在はフリーライターとして、お店や人材の紹介、学校案内、会社案内、町の広報誌など幅広く活動中。取材を通して出会う様々な人の思いや歴史を知り、「岩手ってすごいなぁ」と時間する日々を送っています。趣味は散歩と読書、長距離ドライブなど。