先祖は加賀藩の製塩と薪炭搬出で活躍。ルーツは但馬牛に行きつく
「能登牛(のとうし)」は、平成23年6月、世界農業遺産に認定された、能登の美しい自然や素朴な風土によって丹誠込めて育てられています。能登牛のルーツは、一般的には、寛永3年(1627年)に加賀藩の三代藩主前田利常が、能登半島の外浦一帯に製塩業を推進、その製塩や薪炭を搬出する際に活躍した役牛を繁殖したのが始まりとされています。
全国ブランドに名を連ねる黒毛和牛の大半は、兵庫県や山陰地方などから仕入れた種牛がルーツになっています。能登牛は、明治25年(1892年)に兵庫県の但馬地方から仕入れた3頭の種雄牛がルーツで、大正13年(1924年)には鳥取県から8頭の牛を導入し、その後毎年計画的に導入した牛が、能登牛の元祖になったと考えられています。この頃は主に農耕用を目的とした四肢、前駆が屈強な牛が導入されていました。
石川県が兵庫県美方郡から種雄牛を1頭仕入れた昭和9年ころから、霜降りが入った上質な肉ができる資質型の兵庫系と、体が大きくなる体積型の鳥取系の和牛一代雑種の生産が奨励され、これが体積に富み、資質良好な和牛として高く評価されました。
現在の能登牛は、この和牛一代雑種にさらに兵庫系の雄牛を交配し、和牛の改良を目指したものがベースになっており、肉質のきめの細かい、良質のブランド和牛として高く評価されるまでになっています。