潜伏キリシタンの文化が息づく 世界遺産の集落 長崎県長崎市

2018年にユネスコ世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。
代表格の一つ「大浦天主堂」がある長崎市内中心部から足をのばすと
潜伏キリシタンが集落をなしていた「外海(そとめ)の出津(しつ)集落」があります。
今回は潜伏キリシタンと宣教師の歴史が残るこの地をクローズアップしてご紹介します。

潜伏キリシタンの文化が息づく 世界遺産の集落 長崎県長崎市

2018年にユネスコ世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。代表格の一つ「大浦天主堂」がある長崎市内中心部から足をのばすと潜伏キリシタンが集落をなしていた「外海(そとめ)の出津(しつ)集落」があります。今回は潜伏キリシタンと宣教師の歴史が残るこの地をクローズアップしてご紹介します。

信徒発見の舞台となった世界遺産・国宝の教会

信徒発見の舞台となった世界遺産・国宝の教会

 外国人居留区や中華街などエキゾチックな町並みが広がり、その独特の異国情緒が旅人を惹きつけてやまない長崎市。市を代表する観光スポットの一つで、世界遺産であり国宝の「大浦天主堂」にも多くの方が訪れています。
 「大浦天主堂は、居留地に住む外国人向けに誕生した教会堂ですが、創建当初から堂の正面には漢字で“天主堂”と記されていました。潜伏していた日本人キリシタンにも伝わるようとの思いが込められていたんですね」と教えてくれたのは、大浦天主堂キリシタン博物館の横尾和広さん。天主堂の創建は日本がまだ禁教下にあった幕末の元治元年(1864)のことでしたが、翌年ある潜伏キリシタンが天主堂を訪れ、堂内にいたプティジャン神父に信仰を告白。この出来事は「信徒発見」とよばれ、世界的にも“奇跡”と称されているそうです。初夏の日差しを受けてまばゆく輝く大浦天主堂は、奇跡の舞台となった神聖な地であることをそのたたずまいからも感じさせてくれました。

〈上〉フューレ神父とプティジャン神父の設計により建設された大浦天主堂 〈左下〉堂内は空間を天上へ導くとされる、アーチ状のリブ・ヴォールト天井 〈右下〉2018年に開設された大浦天主堂キリシタン博物館では、日本初公開のド・ロ神父のロザリオのほか、約130点の資料を展示


神父が集落の人々と共に建てた丘の上の教会

神父が集落の人々と共に建てた丘の上の教会

 大浦天主堂から、小一時間ほど車を走らせると、急峻な谷間に、棚田状に土地を開墾して形成した集落が見えてきました。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界遺産に登録されている「外海(そとめ)の出津(しつ)集落」です。信仰を守るためとはいえ、山の斜面を拓いて身を寄せるように住んでいたとは。潜伏キリシタンの困難が偲ばれます。
 出津の丘の上には、集落のシンボル「出津教会堂」が立っています。この教会堂は、明治12年(1879)に39歳で外海地方に赴任したフランス人宣教師ド・ロ神父の設計により、明治15年(1882)に建てられたもの。角力(すもう)灘から直撃する台風にも耐えられるよう軒高を低く抑えた平屋の煉瓦造りで、煉瓦の表面を漆喰で塗り固めた頑丈な建物となっています。

〈上〉ド・ロ神父が私財を投じ、信者と力をあわせて完成させた出津教会堂。ド・ロ神父はその後35年間も集落の人々を支え続けた 〈左下〉出津集落遠景。奥に出津教会堂が、中央付近に「旧出津救助院」が見える 〈右下〉教会堂にはド・ロ神父と、神父の助手・中村近蔵の胸像が置かれている

 出津教会堂は、平屋造りでありながら、正面入口屋根上には鐘楼が、反対側の祭壇部の屋根上には小塔が立ち上がる、珍しい外観となっています。このような外観となった理由は、明治24年(1891)に祭壇部を、明治42年(1909)に玄関部を増改築し、その上に鐘楼を造ったからだそう。教会の側面下部を見れば、鐘楼の幅の分だけ石造りになっており、拡張された部分が一目でわかります。
 鐘楼の鐘と、鐘楼の上に置かれた聖母像は、ド・ロ神父がフランスから取り寄せたもの。鐘楼の鐘は今も現役で使われており、朝に夕に、その美しい鐘の音を響かせていました。

〈上〉建物下の方の石造りとなっている部分が増築された箇所。増築の際もド・ロ神父が設計したという 〈左下〉100年以上にわたり出津の人々を見守る鉄製の聖母像。塔の上に聖母像を置いている教会堂は日本では珍しいそう 〈右下〉屋根瓦と窓枠の組み合わせなどに日本と西洋の融合が感じられる


神父の深い愛により創設された自立支援施設

神父の深い愛により創設された自立支援施設

 ド・ロ神父は、困窮を極める村人達を救うため、農業や漁業指導、医療や教育事業などさまざまな活動を行いました。「旧出津救助院」もその一環で、海難事故や病気で一家の働き手を失った女性たちが働ける場として創設。
 織布、編物、そうめん、マカロニ、パスタ、パンの製造、醤油の醸造などが行われたといい、「特にパンやマカロニは、長崎居留地に住む外国人に人気だったそうですよ。ド・ロ神父は救助院を総合的な女子教育の場として考えており、ここで働く女性たちは、食べ物やお金を得るだけでなく、生きる力と自信を身につけたのです」と教えてくれたのはシスターの赤窄須美子さん。

〈左〉救助院の施設の一つ、マカロニ工場。斜面を切り拓いた場所に立つ 〈右上〉救助院は授産所や製粉工場など複数の棟からなる施設群。保存修復し一般公開している 〈右下〉常駐ガイドの村上博さん。左手に見えるのがド・ロ神父が考案した丈夫な「ド・ロ壁」。130年を経た今も現存している

 授産所2階「祈りの場」には、明治22年(1889)頃にド・ロ神父がフランスから取り寄せた、当時としては最新型のハルモニュウム(リードオルガン)や、19世紀初頭に作られたといわれる立派な時計が置かれています。ここに集う女性たちに、良質なものの持つ豊かさにふれさせたい、というド・ロ神父の深い慈愛が感じられます。
 「隣人を自分のように愛しなさい」というキリスト教の教えをこの地で示したド・ロ神父は、一度も母国に帰ることがないまま、大正3年(1914)に74歳で逝去。現在は自らが作った野道の墓(現・出津共同墓地)に眠っています。信仰を貫き、生涯を人々のために尽くした尊い精神にふれ、胸が熱くなりました。

 禁教が解かれる前後の潜伏キリシタンの信仰心や暮らしが見て取れる、長崎市の遺産群。その舞台を巡り、密かに続いた日本独特の信仰のかたちに思いを馳せてみませんか。
(2019年6月)

〈左上〉そうめん造りの様子を再現。当時製造に使用していた機械も置かれている 〈左下〉ド・ロ神父の生涯を分かりやすく伝えるパネル展示 〈右〉ハルモニュウムは希望すればシスターに弾いてもらうことができる

※教会の堂内は写真撮影禁止。この記事の教会の写真撮影・掲載にあたっては大司教区の許可をいただいています。
※旧出津救助院は敷地内写真撮影禁止です。

ド・ロさまそうめん木箱2列

ド・ロさまそうめん木箱2列

今も地元で「ドロさま」と呼ばれ尊敬される、ド・ロ神父が伝えたそうめん作りの製法を継承した「ド・ロさまそうめん」。戦後の混乱の中でド・ロさまそうめんの製造は途絶えていたのですが、昭和57年(1982)に地元の人々と修道女らの手により復活。最高級の強力粉を使用した手延べそうめんで、一般的なそうめんに比べてやや太く、しっかりとしたコシが堪能できます。出津集落の文化的伝統を背景に育まれた特産品ゆえ、みやげとしても高い人気を誇ります。
※掲載の「お礼の品」は品切れや季節の都合で受付を終了・中止していることがあります。

1箱に1.9kg(50g×38束)とたっぷり。夏は冷やして、冬は温かいにゅうめんとしても楽しめる

SPOT LIST

大浦天主堂・大浦天主堂キリシタン博物館(おおうらてんしゅどう・おおうらてんしゅどうきりしたんはくぶつかん)

【電】095-823-2628(大浦天主堂)、095-801-0707(大浦天主堂キリシタン博物館)【住】長崎市南山手町5−3【交】電停大浦天主堂から徒歩5分【料】拝観1000円(博物館の見学料込み)【時】8〜18時(最終入館は17時30分)【休】無休(博物館は年末年始)【P】なし

出津教会堂(しつきょうかいどう)

【電】095-823-7650(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター)【住】長崎市西出津町2633【交】JR長崎駅から車で約50分【料】拝観無料。ただし見学は事前に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター」HPからネット申請(2日前まで)、または電話連絡が必要【時】9〜17時【休】無休(ミサ・冠婚葬祭時は堂内見学不可)【P】なし

旧出津救助院(きゅうしつきゅうじょいん)

【電】0959-25-1002【住】長崎市西出津町2696-1【交】JR長崎駅から車で約50分【料】入館400円【時】9〜17時、日曜は11時〜(最終入館は16時30分)【休】月曜 (祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日【P】10台

ページ先頭へ戻る