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四国地方
美馬市は、古くから吉野川の竹林を活かした和傘の製作や藍の集散地として栄えた町であり、吉野川の水運の積み出し港として、百を超える藍商人達が栄華を極め、隣家との防火壁である「うだつ」が風雅な格子戸や白壁の土蔵と相まって、今なお当時の隆盛を物語っています。それ以外にも、とくしま88景に選定されている「寺町」、国指定史跡である「段の塚穴」や「郡里廃寺跡」など数多くの文化財が残る歴史情緒あふれるまちでもあります。(るるぶ&more.)
日本の名映画「二十四の瞳」の舞台となった風光明媚な島。小豆島映画村は映画のロケ用オープンセットを改築したものです。奇峰が連なる寒霞渓は、瀬戸内を代表する景勝地。変化に富んだ美しい渓谷をロープウェイで空や海とともに楽しめます。(るるぶ&more.)
瀬戸内海に浮かぶ小豆島の南東部に位置し、古くから海の交通の要衝として発展した小豆島町。 町にはオリーブや醤油など多くの特産品がありますが、今回は日本三大そうめんの一つに数えられる 「小豆島そうめん」に注目。できたての生そうめんをその場でいただくことができ、 箸分けとよばれる手延べそうめん作りの体験もできる人気スポットにお邪魔しました。
琴平町は、香川県のほぼ中央に位置し、年間を通して温暖な、暮らしやすい気候に恵まれており、まちは四季ごとに桜、つつじ、もみじ等の花や緑に彩られます。また、「讃岐のこんぴらさん」で有名な金刀比羅宮の門前町として栄えてきた歴史と文化があり、そうした歴史に彩られた名所旧跡を訪ねる観光客を国内外より年間約250万人以上集める四国を代表する観光地でもあります。
松山市は人口51万人の県庁所在地で四国最大の都市です。市内中心部には松山城、日本最古の温泉といわれる道後温泉という観光名所があります。また、近代俳句の祖といわれる正岡子規の生誕地でもあります。
『日本書紀』や『万葉集』にも登場する日本最古といわれる道後温泉が 有名な松山市。道後温泉のシンボル「道後温泉本館」は、現在、営業しながらの 保存修理工事中ですが、2017年に誕生した道後の新名所 「道後温泉別館 飛鳥乃湯泉」が今大きな注目を集めています。 湯上がりにぜひ立ち寄りたい、愛媛ならではの柑橘類を使ったショップとあわせてご紹介します。
大洲市は、肱川の流域ごとに暮らしが異なり、上流域では「河辺郷(かわべごう」をはじめとする山里文化、中流域では「大洲城」をはじめ、水郷の情緒漂う城下町文化や市街地が広がっています。また下流域は、漁港や肱川を使った物流の拠点として栄えた歴史があり、「長浜大橋」などは往時を偲ばせるなど、多様な文化があるまちです。
清流、肱川沿いに広がる愛媛県大洲市は、小高い丘に立つ大洲城を中心に栄えてきた城下町。 昔ながらのどこか懐かしい町並みが見られ、「伊予の小京都」ともいわれています。 今回は、名建築として世界的にも高い評価を受けている山荘庭園「臥龍山荘」を訪ね、 世界に誇る「侘び」の世界や随所に光る匠の技を堪能しました。
民謡「よさこい節」で知られる高知は、県の中心都市。はりまや橋や高知城、月の名所白砂の桂浜など見どころが多く、赤いはりまや橋は、からくり時計が目印です。武将・山内一豊の居城であった高知城は、白亜の天守閣がひときわ目立ちます。(るるぶ&more.)
高知ゆかりの人物といえば、真っ先に思い浮かべるのは坂本龍馬でしょう。 しかし、成し遂げたことの偉大さでは、龍馬に優るとも劣らぬ人物がいます。 それは、「日本植物分類学の父」と評される世界的な植物分類学者、牧野富太郎博士。 その業績を顕彰する高知県立牧野植物園を中心に、県都・高知市を満喫しました。
芸西村が誇る一番の名所は、高知県指定の名勝で「白砂青松100選」にも選ばれている「琴ヶ浜」。東西約4kmにわたって広がる砂浜で、打ち返す波音が琴の調べを思わせることから、この風雅な名が付けられたといわれています。展望台に登ると、東は室戸岬から、西は坂本龍馬像の立つ桂浜まで一望。波が奏でる音色と鳥のさえずりをBGMに、雄大な風景をたっぷり味わうことができます。(るるぶ&more.)
南は紺碧の太平洋に向かい、北は緑濃い山々を背負う高知県芸西村。 のどかな田園地帯が広がるこの村が、最近、絶景好きな人々に人気上昇中だといいます。 多くの人が目指す先は、海に向かう崖の上にあるレストラン。 そこには見たこともない、圧倒的な眺望が待っていました。
南国市は、空の玄関・高知龍馬空港、陸の玄関・高知自動車道南国ICを擁し、また、市の中心部に位置するごめん町には、JR線と県東部に伸びるごめん・なはり線が連結する「ごめん駅」や、高知のお城下へと走る路面電車の始発駅「ごめん町駅」などがあり、土佐の旅の玄関口として大きな役割を果たしています。